藤原小黒麻呂(読み)ふじわらのおぐろまろ

改訂新版 世界大百科事典 「藤原小黒麻呂」の意味・わかりやすい解説

藤原小黒麻呂 (ふじわらのおぐろまろ)
生没年:733-794(天平5-延暦13)

奈良末・平安初頭の官人。藤原房前(ふささき)の孫で母は大伴道足の娘。764年(天平宝字8)恵美押勝の乱の論功により従五位下となり,伊勢守,式部少輔などを経て,光仁朝に急速に位階,官職ともに昇進し,779年(宝亀10)参議,翌年陸奥で伊治呰麻呂いじのあざまろ)の乱が起こると持節征東大使となり,その翌年には陸奥出羽按察使(あぜち)を兼ね,さらには兵部卿となった。その戦況ははかばかしくなかったが,京へもどると功により正三位を授けられた。光仁天皇が没すると御装束司となり,誄(しのびごと)を奉じた。784年(延暦3)中納言となり,藤原種継らとともに遷都のために山背国乙訓(おとくに)郡長岡村を視察した。のち中務卿,皇后宮大夫などをへて,大納言となったが,793年には次の遷都のために葛野(かどの)郡宇太村の地を視察した。翌年4月正倉院の雑薬を給せられたが薬効なく,7月に没した。藤原継縄(つぐただ)とともに桓武朝前半期の太政官中枢をきずいた。
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朝日日本歴史人物事典 「藤原小黒麻呂」の解説

藤原小黒麻呂

没年:延暦13.7.1(794.7.31)
生年:天平5(733)
奈良時代貴族。藤原鳥養と大伴道足の娘の子。房前の孫。藤原仲麻呂の乱(764)の功績で従五位下,伊勢守に叙任以後,式部少輔,中衛少将,右衛士督,また上野(群馬県)などの地方長官を歴任し,宝亀10(779)年参議。翌年藤原継縄にかわって征東大使として征夷に当たったが,成果はあげていない。延暦9(790)年,大納言に昇任し,長岡京,平安京遷都の土地調査を行った。妻である秦嶋麻呂との間に生まれた葛野麻呂は,22年,遣唐大使を務めている。娘上子は桓武天皇後宮に入り,滋野内親王を産んでいる。

(増渕徹)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原小黒麻呂」の解説

藤原小黒麻呂 ふじわらの-おぐろまろ

733-794 奈良時代の公卿(くぎょう)。
天平(てんぴょう)5年生まれ。北家藤原鳥養(とりかい)の次男。母は大伴道足の娘。宝亀(ほうき)10年(779)参議。翌11年伊治呰麻呂(いじの-あざまろ)の乱で持節征東大使となり,功により正三位となる。延暦(えんりゃく)9年大納言にのぼり,中務卿,皇后宮大夫を兼任。延暦13年7月1日死去。62歳。贈従二位。

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