朝日日本歴史人物事典 「藤原成頼」の解説
藤原成頼
生年:保延2(1136)
平安末・鎌倉前期の公卿,僧。父は民部卿顕頼,母は権中納言藤原俊忠の娘。長兄光頼の養子で光頼の子宗頼の養父。左中弁,蔵人頭を経て,仁安1(1166)年参議,同2年正三位。承安4(1174)年光頼の一回忌に出家,『愚管抄』は「出家には物語どもあれど」と記す。仏厳房聖心を師とし,法名は体蓮房智成。『奥院興廃記』によると寿永3(1184)年高野山入り,建久6(1195)年草庵を奥院に施入して往生院に移る。これは重源の新別所専修往生院であろう。自記に「体阿弥陀仏」と重源が創始した阿弥陀仏号を称しているので,その二十四蓮社友のひとりと考えられる。高野宰相入道と号され,高野山にて大往生したという。高野山での詠が『新勅撰集』に載る。『古事談』『十訓抄』『撰集抄』に説話が載り,『平家物語』には出家のこと,源雅頼の青侍がみた夢を成頼入道が解いて未来を予言したことが記される。<参考文献>五来重『増補高野聖』
(今村みゑ子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報