改訂新版 世界大百科事典 「長秋記」の意味・わかりやすい解説
長秋記 (ちょうしゅうき)
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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権中納言(ごんちゅうなごん)兼皇后宮権大夫(ごんだいぶ)源師時(もろとき)(1077―1136)の日記。『長秋記』の名は皇后宮の唐名である長秋宮にちなんだもので、ほかに『権大夫記』『師時記』、さらには姓名の一部の「源」と「時」の偏をとって『水日記』ともいう。もとは1087年(寛治1)から1136年(保延2)まで50年間にわたって70巻近くあったというが、いまは欠巻も多く、1111年(天永2)からの13巻ほどである。師時は有職故実(ゆうそくこじつ)に明るく、鳥羽(とば)天皇の皇后美福門院(びふくもんいん)(得子)の伯父にあたることもあって宮廷の機微にも通じていた。その意味からも『長秋記』は政治、朝儀典礼を知るために欠くことのできない文献で、そのほか仏教関係、世相風俗の記事もまま見受けられる。院政期の動向を知る貴重な史料である。『史料大成』に二冊本で所収。
[朧谷 寿]
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…都近くではすでにこのころには田植行事が観賞の対象とされ,芸能化しているが,もともとは信仰を背景とした民俗行事であったはずである。《長秋記》大治4年(1129)5月10日条に記される田植では,田主を専門の猿楽芸能者である弘延(こうえん)がつとめたのをはじめ,苗を植える早乙女が20人,それに懸鼓,佐々良(ささら),笛などの囃し方を田楽者と呼んで,その華やかなようすを記しているが,別に職業芸能者の田楽法師の一団も参加しており,貴族御覧の田植が一段と芸能化していたことが知られる。このようなにぎやかな田植行事は,その後神社の神田などを植える神事として各地に伝承されるが,その代表的なものが大阪市住吉大社の御田植神事(現在6月14日)で,近世まで専業の猿楽者・田楽者が参勤して,田の畦(あぜ)を舞台に芸能を演じていた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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