日本大百科全書(ニッポニカ) 「藤原淑子」の意味・わかりやすい解説
藤原淑子
ふじわらのよしこ
(838―906)
平安初期の女官。権中納言長良(ごんちゅうなごんながら)の女(むすめ)で摂政関白基経(せっしょうかんぱくもとつね)の異母妹。右大臣藤原氏宗(うじむね)の後妻。甥(おい)の陽成(ようぜい)天皇のとき従三位(じゅさんみ)に叙せられ、基経が摂政であったという後援もあって典侍(ないしのすけ)として後宮を宰配した。その後、尚侍(ないしのかみ)に進み、宇多(うだ)天皇の即位に伴い、正三位から一挙に従一位に昇った。尚侍で従一位というのは破格であった。これより先、宇多天皇がまだ源定省(さだみ)とよばれていた時代に、淑子は養子のように世話をし、即位については彼女の働きが大きくあずかっていたと考えられる。宇多天皇も淑子を養母として処遇した。晩年になって東山に円成寺(えんじょうじ)を建立し、死後に正一位が追贈された。
[朧谷 寿]