朝日日本歴史人物事典 「藤原淑子」の解説
藤原淑子
生年:承和5(838)
平安前期の女官。父は藤原長良,母は難波淵子か。兄に基経がいる。貞観2(860)年23歳のときに無位から従五位上に叙せられるが,このころ宮廷に出仕,ほどなく28歳年上の藤原氏宗の後妻となり,夫の晩年の立身出世に功があった。35歳で寡婦となったのちも,兄基経と連携して引き続き後宮で采配を振るった。元慶6(882)年に正三位,同8年尚侍に任命され,仁和3(887)年には一挙に従一位に叙せられる。政界で圧倒的な権勢を誇る一族の出身ではあるが,天皇の女御や御息所ではなく,女官として清和,陽成,光孝,宇多,醍醐天皇の後宮を指揮,位人臣を極め藤原北家の勢力をゆるぎないものとした。僧益信を尊崇し,亡夫終焉の東山椿ケ峯の山荘を寄進して円成寺を建立した。<参考文献>角田文衛『平安人物志』上
(菅原征子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報