藤原道雅(読み)ふじわらのみちまさ

朝日日本歴史人物事典 「藤原道雅」の解説

藤原道雅

没年天喜2.7.20(1054.8.25)
生年正暦3(992)
平安時代歌人。中古三十六歌仙のひとり。藤原伊周源重光の娘の子。一条天皇皇后定子は叔母。松君という幼名で『枕草子』にも登場する。一時は頭中将まで至り従三位に昇ったが,自家没落を謀った藤原道長への反発からか,奇矯粗暴な言動が多く,閑職に追われ,荒三位とも呼ばれた。極官は左京大夫。三条上皇皇女前斎宮当子内親王と密通し上皇の勘当を受けたが,『袋草紙』に「道雅三位はいと歌仙とも不聞,斎宮秘通間歌多秀逸也」と評され,勅撰集入集歌7首中5首と,百人一首選入歌「今はただ思ひ絶えなむとばかりを人づてならでいふよしもがな」はこの事件をめぐる詠である。<参考文献>井上宗雄『平安後期歌人伝の研究

(中周子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原道雅」の解説

藤原道雅 ふじわらの-みちまさ

992-1054 平安時代中期の公卿(くぎょう),歌人。
正暦(しょうりゃく)3年生まれ。藤原伊周(これちか)の子。母は源重光の娘。左近衛(さこんえの)中将となり,長和5年(1016)従三位。粗暴な言動がおおく,荒三位とよばれる。当子内親王と密通して三条上皇の勘当をうけ,のち左京大夫(だいぶ)に復した。中古三十六歌仙のひとり。歌は「後拾遺和歌集」などにはいる。天喜(てんぎ)2年7月20日死去。63歳。幼名は松君。
格言など】今はただ思ひ絶えなむとばかりを人づてならでいふよしもがな(「小倉百人一首」)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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