新猿楽記(読み)シンサルガクキ

デジタル大辞泉 「新猿楽記」の意味・読み・例文・類語

しんさるがくき【新猿楽記】

平安後期の随筆。1巻。藤原明衡ふじわらのあきひら著。康平年間(1058~1065)の成立か。猿楽見物の一家に託し、当時の庶民の風俗などを漢文で描く。生活史料として重要。

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精選版 日本国語大辞典 「新猿楽記」の意味・読み・例文・類語

しんさるがくき【新猿楽記】

  1. 平安後期の漢文で書かれた随筆。一巻。藤原明衡著。康平四年から八年(一〇六一‐六五)頃の成立か。猿楽の実情を略述し、見物する一家(右衛門尉とその妻三人、娘一六人とその夫、息子九人など三三人)に託し、当時の庶民の各職種別の生態などを叙する。事物の名称が多く記され、この時代の生活史料として屈指のもの。

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改訂新版 世界大百科事典 「新猿楽記」の意味・わかりやすい解説

新猿楽記 (しんさるがくき)

平安後期の漢文体記類作品。藤原明衡(あきひら)の著。1052年(永承7)前後の成立と考えられる。その内容は,初めに当時都で流行した散楽(さるがく)雑技ことに新猿楽について,曲の種類や芸人の巧拙,観衆の反応などを論じた後,ある夜の猿楽見物の観衆の一人である西の京の右衛門尉(じよう)一家33人を,ひとりひとり紹介してゆくという設定である。

 右衛門尉には3人の妻,16人の娘とその夫,9人の男子があり,それぞれに異なった職業を持ち,性格も違っているが,それらを,関連する事物の名称とともに滑稽をまじえて列挙してゆく。そこに登場する職業は,博打(ばくち),武者,田堵(たと),覡女(かんなぎ),鍛冶師,鋳物師,学生(がくしよう),相撲人(すまいびと),馬借(うまかし),大工,医師(くすし),陰陽師(おんみようじ),歌人,遊女(うかれめ),能書,大験者,指物師,受領の郎等,僧,絵師,仏師,商人,舞人など古代後期の職業や階級の分化,都市庶民の新興の活力を反映し,本書は一種の王朝後期の職人尽しの性格をもつ。取り上げられている事物も,すごろくの詞から各種職人の作る製品名,相撲の手,舞楽の曲名にいたるまで,広く人事全般にわたって百科事典的な名詞語彙の列挙がみられる。たとえば,受領の郎等である四郎君の場合には,たいへん機転のきく男だったので受領の配下で儀式をとりしきり,さまざまの役職を歴任したということを述べて,それらの儀式や役職名を列挙し,受領が赴任する際のしきたりや国衙の機構を示す。そして,その記述に加え,四郎君に贈られた物として,阿波絹,越前綿など諸国の特産品の名を列挙するといったぐあいである。また,江口の遊女の長(おさ)である女(むすめ)についての記事(第十六)は,当時の遊女の風俗をよく写し,約半世紀後に書かれた大江匡房の《遊女記》にも連なるものである。

 一方,職業ではなくて人物の容貌や性質を取り上げる条もある。それは3人の妻について,嫉妬深い老いた本妻,柔和で財産もある次妻,若くて美しく夫に溺愛される第3の妻と,その3態を巧みに描き分ける各条のほか,貪飯愛酒の娘や道心堅固な寡婦の暮しぶり,美女の相,醜女の容貌などを,やはり関連する事物とともに列挙する条にみられる。一部猥雑にわたる内容も含みつつ,当年の京の下町風景を生き生きとはばかりなく描写している。それぞれに生の人間の生活をバラエティゆたかに反映していて興味深い。このように本書は人事百般を部類して,それぞれの項目に属する事物を往来物風に列挙して,職人尽し・物尽しの観を呈し,なかには現在意味不明のものも少なくないが当時の社会生活のくまぐまのディテールを知るうえでの貴重な資料となっている。

 ところで,往来物とは,初学者の教育のために広範な実用的知識を列挙して,物尽しの形式で示すものが多く,消息贈答の形式をとる場合もあるが,明衡は,別に《明衡(めいごう)往来》を著して往来物の祖とされている。本書の場合も,消息の贈答ではないものの,その内容や事物列挙の記述形式からして,それら往来物の列に並ぶものであり,古往来源流にたつ作品と考えられる。本書冒頭の猿楽に関する記事が,日本の古代演劇史の貴重な資料として重要視されてきたことはいうまでもないが,それにもまして,後半部の,百科全書風,類書的記述のおもしろさと資料的価値は高く評価されるべきものである。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「新猿楽記」の意味・わかりやすい解説

新猿楽記
しんさるがくき

平安後期の記録書。1巻。漢文。藤原明衡(あきひら)(989?―1066)作。成立未詳。猿楽は平安時代におこった滑稽(こっけい)な大衆芸能であるが、本書は最初猿楽の演戯について、人形操りや曲芸物真似(ものまね)などの形態を並べ、次に猿楽の名人を列挙してその芸態を論評する。そして見物人の右衛門尉(うえもんのじょう)一家の家族構成と生活態度、容貌(ようぼう)およびそれに関係ある事物の品目を28条にわたって列挙する。老妻や遊女の姿態、弓箭(きゅうせん)、相撲(すもう)の技、学者・医師の学業、真言・天台僧の行、農耕、工匠の技、仏師・絵師の芸、諸国の物産や交易品目など都の人事全般の事物の名称や所作が列挙されており、演劇の資料としてだけではなく、当時の社会状態や庶民生活を知るための貴重な文献である。

[大曽根章介]

『川口久雄訳注『新猿楽記』(平凡社・東洋文庫)』『重松明久校注『新猿楽記・雲州消息』(1982・現代思潮社・古典文庫)』『大曽根章介校注「新猿楽記」(『日本思想大系8』所収・1979・岩波書店)』

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百科事典マイペディア 「新猿楽記」の意味・わかりやすい解説

新猿楽記【しんさるがくき】

平安後期の漢文体の芸能の記。1巻。藤原明衡(あきひら)作。当時都で流行していた猿楽の種類をあげて芸人を評したのち,見物人の様子を述べ,観衆の一人である右衛門尉(うえもんのじょう)の家族を紹介する形で当時の人事全般にわたる様々な事物の名称や所作を列挙する。《堤中納言物語》を始め多数の書に引用が見られる。
→関連項目京童粉河寺千秋万歳

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「新猿楽記」の意味・わかりやすい解説

新猿楽記
しんさるがくき

猿楽芸に関する最古の書。藤原明衡著。静嘉堂文庫に写本が2部あるのみで,群書類従本系統のほかに異本は知られていない。その前半に,平安時代中期とみられている猿楽者の百丈,仁南,定縁,懸井戸先生などの芸評や,猿楽雑伎として咒師 (のろんじ) ,侏儒舞 (ひきひとまい) ,田楽,品玉 (しなだま) などの曲芸や「福広聖之袈裟求 (ふくこうひじりのけさもとめ) 」や「妙高尼之襁褓乞 (むつきごい) 」などの滑稽物まね芸の名称があげられている。本書の成立期は未詳であるが,平安時代後期と考えられている。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「新猿楽記」の解説

新猿楽記
しんさるがくき

往来物の一つ。1巻。11世紀半ばの藤原明衡(あきひら)の著とされてきたが,近年は11世紀末,白河院政期頃の一貴族の手になるとの説が有力。猿楽を見物する西京の右衛門尉一家に託して,当時の下級官人・職人・庶民らの多様な職業・職能について物尽し風に描く。猿楽・双六(すごろく)・武者・馬借(ばしゃく)・工匠・陰陽師(おんみょうじ)・遊女・修験者・仏師・商人・舞人などについての具体的な記述は,当時の社会各層を理解するための格好の素材である。「日本思想大系」「東洋文庫」所収。

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旺文社日本史事典 三訂版 「新猿楽記」の解説

新猿楽記
しんさるがくき

平安中期,藤原明衡 (あきひら) の著した随筆
著作年代不詳(1060年ころと推定)。1巻。子女の教養の読物。当時の猿楽を,武者・陰陽師・商人など多くの階層の観客の実態とともに描写。日本演劇の原始形態と当時の社会生活の好史料。

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世界大百科事典(旧版)内の新猿楽記の言及

【歌謡】より

…歌詞は七五調4句を基本とする短詩型で,後白河院はことに今様を愛好し560余首からなる《梁塵秘抄(りようじんひしよう)》(1179ころ)を編んでいる。なお今様を含めた当時のさまざまな歌舞音曲は,〈雑芸(ぞうげい)〉〈郢曲(えいきよく)〉とも称されており,その多彩な演目と活況を藤原明衡(あきひら)の《新猿楽記(しんさるがくき)》(11世紀中葉)にみることができる。 中世(12~16世紀)に入ると鎌倉武士を中心に宴席の歌曲として〈宴曲(えんきよく)〉が行われた。…

【狂言】より

…アメノウズメノミコトの岩戸舞をはじめ,《古事記》《日本書紀》の伝承の中には喜劇的所作を伴うと思われるものがいくつか見いだせる。だがそれがまとまった芸態として記された例となると,平安中期の藤原明衡(あきひら)作と伝える《新猿楽記》まで下らねばならない。そこには京の街で演じられた猿楽として〈妙高尼の襁褓(むつき)乞い〉〈東人の初京上り〉といった滑稽技と,それを演じた役者の名が記されている。…

【在庁官人】より

… この在庁官人が担うところとなった該時期の国衙機構は多く検田所,収納所をはじめとした分課的な(ところ)により構成されていた。11世紀初頭の成立と伝えられる往来物《新猿楽記》にも〈四郎君は受領の郎等,刺史執鞭の図なり。……是以凡そ庁の目代,もしくは済所,案主,健児所,検非違所,田所,出納所,調所(ずしよ),細工所,修理等,もしくは御厩,小舎人所,膳所,政所,或は目代或は別当,いはむや田使,収納,交易,佃,臨時雑役等の使においては,望まざるに自ら懸け預るところなり〉とあり在庁内における活動のありさまをうかがうことができる。…

【猿楽】より

…表記も〈さるがく〉〈さるがう〉〈猿楽〉などと見え,〈さるがうこと〉(《枕草子》104段),〈さるがうがまし〉(《源氏物語》少女)などという用例が,滑稽なしぐさやせりふを意味するのは,当時の〈さるがく〉の芸態の変貌をものがたっていよう。平安末期の藤原明衡(あきひら)の《雲州消息》や《新猿楽記》にも同じ事情をものがたる記載がある。《新猿楽記》には,〈呪師(しゆし)〉〈侏儒舞(ひきうどまい)〉〈田楽(でんがく)〉〈傀儡(くぐつ)〉などをも含み,猿楽が諸雑芸の総称ででもあったらしいことが知られるとともに,その記載の題目から,物まね芸を主軸として笑いを誘う類の芸,のちの〈狂言〉の源流となる性格のものを,多分に含んでいたことが知られる。…

【調所】より

…所にはこの調所のほか検田所,収納所,税所(さいしよ),田所(たどころ)などの機関が存在した。11世紀初頭の成立とされる藤原明衡の《新猿楽記》にもこうした国衙内の〈所〉の存在が指摘されている。国衙における調所の史料上の初見は,1058年(康平1)の丹波国高津郷司解である。…

【泥鰌掬】より

…滑稽(こつけい)な振りで人気が高い。こうした小魚などをすくい取るしぐさは昔から滑稽なものとされていたようで,平安後期の《新猿楽記》には〈断腸解頤〉の芸として〈蝦漉舎人之足仕(えびすきとねりのあしづかい)〉が挙げられており,《梁塵秘抄》にも〈海老漉舎人,小魚(さい)漉舎人〉が見える。〈安来節〉のどじょうすくいは元来出雲の飯石,能義,仁多,大原,鳥取県の日野地方から産出する砂鉄採取のための〈土壌すくい〉から発生したといい,元歌には〈ヤサホヤサホと鉄積んで〉という歌詞がある。…

【琵琶法師】より

…蟬丸は琵琶法師の祖とされ,醍醐帝第4の皇子という伝承を生むが,一方彼らの自治組織ともいうべき〈当道(とうどう)〉では,仁明天皇第四皇子人康(さねやす)親王を祖神とし,天夜(あまよ)尊としてまつる。散逸した《小右記》には寛和元年(985)7月18日条に,琵琶法師を召して才芸を尽くさしめたことが記されていたといい(《花鳥余情》),《新猿楽記》にも〈琵琶法師之物語〉とあるから,平安時代に叙事詩を語って活躍したことは確かである。鎌倉時代に軍記物語が生まれると彼らは《平家物語》を表芸として語り(平曲),その内容をより豊かにした。…

【万歳】より

…正月に家々の座敷や門口で予祝の祝言を述べたてるもので,〈千秋万歳(せんずまんざい)〉の末流と考えられる。平安時代後期成立の《新猿楽記》には〈千秋万歳之酒禱(さかほがい)〉と見え,千秋万歳はこのころすでに職能として存在していたと思われる。鎌倉時代以降には宮中をはじめ寺社,武家などの権門を訪れるようになり,室町時代の中ごろには一般の民家にも門付してまわるようになった(《臥雲(がうん)日件録》)。…

※「新猿楽記」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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