朝日日本歴史人物事典 「藤原顕綱」の解説
藤原顕綱
生年:生年不詳
平安時代中期の歌人。父は参議兼経,母は藤原順時の娘(弁乳母)。『讃岐典侍日記』の作者長子や歌人伊予三位の父。丹波国,讃岐国,但馬国などの地方官を勤め,正四位下に至るが,康和2(1100)年に出家。讃岐入道と号する。承暦2(1078)年『内裏歌合』,嘉保1(1094)年『高陽院七番和歌合』などに出詠するとともに,法成寺宝蔵の『万葉集』を書写するなど,注目すべき文化活動を展開した。家集の『讃岐入道集』(『顕綱朝臣集』とも)には,「三十日まで祈る社のかひなくは神無月とや言ふべかるらむ」など,機知に富んだ歌が多い。『後拾遺和歌集』以下の勅撰集に25首が入集している。
(加藤睦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報