平安後期の日記。上下2巻。作者讃岐典侍は藤原顕綱(あきつな)の女(むすめ)、長子。『蜻蛉(かげろう)日記』の著者道綱母(みちつなのはは)の4代の孫。姉兼子が堀河(ほりかわ)帝の乳母(うば)で、その縁によってか同帝に出仕、典侍(てんじ)となる。1107年(嘉承2)堀河帝崩御ののち、さらに皇子の鳥羽(とば)帝に仕える。晩年堀河帝の御霊(ごりょう)がのりうつったと称して予言を口走ったと伝えられ(長秋記)、彼女の巫女(みこ)的性格を指摘する説もあるほどであるが、『讃岐典侍日記』上巻には、その堀河帝発病の6月20日から7月19日崩御までが記され、一個の人間として死に直面した天皇の姿と、傍らにあって不安と悲嘆を肌で感じている作者の思いとを、すさまじいまでに描き出す。下巻は、同年10月から翌08年(天仁1)の記事が中心で、鳥羽帝に再出仕した作者が、おりに触れて同じ宮中の昔のことを思い出すさまがあわせて語られ、彼女の内部で堀河帝への慕情がますます浄化されていく。おそらく天皇と典侍という主従の立場の裏に隠れた男女の愛情関係の社会的な不毛性が、上・下巻それぞれの特異な感覚化と美化を生み出しているのであろう。上巻は崩御後、1107年後半、下巻は09年ごろ成立か。『本朝書籍目録(ほんちょうしょじゃくもくろく)』に3巻とあり、上・下巻の間、あるいは下巻のあとに脱落を想定する説もある。
[木村正中]
『玉井幸助著『讃岐典侍日記全註解』(1969・有精堂出版)』▽『草部了円著『讃岐典侍日記 研究と解釈』(1977・笠間書院)』▽『守屋省吾著『平安後期日記文学論――更級日記・讃岐典侍日記』(1983・新典社)』▽『小谷野純一著『平安後期女流日記の研究』(1983・教育出版センター)』
平安朝の日記文学。上下2巻。作者は藤原顕綱の娘長子。讃岐典侍の名は堀河・鳥羽両天皇に仕えた女房名。父が讃岐入道と呼ばれた歌人であったことによる。1110年(天永1)ごろ成る。上巻は1107年(嘉承2)6月堀河天皇の発病に筆を起こし,日増しに容態が悪化していく天皇の苦悩や周囲の憂慮の様子を,病床に侍して懸命に看護する女房の目で克明に記述し,7月ついに天皇の亡くなる際の動転と悲傷を告白している。作者は天皇の没後典侍を辞任して里に下がったが,白河院の仰せをこうむって心ならずも新帝鳥羽天皇のもとに出仕した。下巻は同年10月から翌年(天仁1)12月31日まで再出仕後の記で,あどけない幼帝へのいたわりや先帝の菩提寺香隆寺への参詣などを記し,おりにふれ,事につけての先帝哀慕の情を縷述。和歌23首を含み,うち自作は10首。天皇の病と死という特殊な内容の異色な女房日記として注目される。
執筆者:秋山 虔
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