藤枝村(読み)ふじえだむら

日本歴史地名大系 「藤枝村」の解説

藤枝村
ふじえだむら

[現在地名]金木町藤枝

梵珠ぼんじゆ山麓に接する岩木川デルタに立地し、藤枝溜池の堤防下方に位置する。東南は金木村および川倉かわくら村、西南蒔田まきた村、北西豊島としま(現中里町)、北は大沢内おおざわない(現中里町)に至る。

金木新田一八ヵ村の一つで、徳田家由緒書(金木郷土史)に「徳田伝兵衛元禄十一寅年金木新田御取立之節、同所堰溜池大川堤奉行被仰付」とあり、藤枝溜池完成後の開村と推定される。「平山日記」享保一二年(一七二七)に「下五藤枝村元桜井村名替」とあり、もと桜井さくらい村であったが、このとき藤枝村と改名され、村位は下で免は五ツ成であった。


藤枝村
ふじえだむら

[現在地名]日進町藤枝・蟹甲新田かにこうしんでん

南は折戸おりど諸輪もろわ(現東郷町)の両村、名古屋城下の東方四里を隔てている。東から西北こめ川が流れ、その流域水田や集落が開かれた。村の起源については、もと藤島ふじしま村の枝郷で、村名もこれに由来するといわれる。近世に入って尾張藩の重臣渡辺氏の知行地となり、水野代官所に属した。寛文一一年(一六七一)の家数三五、人数二七二(寛文覚書)。概高三七二石余、田二〇町九反余・畑二町五反余、ほかに渡辺氏拝領の松山二八町があった(徇行記、日進村誌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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