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藤森弘庵 ふじもり こうあん

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

藤森弘庵 ふじもり-こうあん

1799-1862 江戸時代後期の儒者。
寛政11年3月11日生まれ。長野豊山にまなぶ。播磨(はりま)小野藩,常陸(ひたち)土浦藩につかえ,弘化(こうか)4年江戸で塾をひらく。ペリー来航の際「海防備論」をあらわし,「芻言(すうげん)」を徳川斉昭(なりあき)に献じた。安政の大獄で江戸追放となるが,のちゆるされた。文久2年10月8日死去。64歳。江戸出身。名は大雅。字(あざな)は淳風。通称は恭助。別号に天山。

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世界大百科事典 第2版の解説

ふじもりこうあん【藤森弘庵】

1799‐1862(寛政11‐文久2)
幕末期の儒学者。名は大雅,恭助と称し,晩年は天山と号する。江戸の人。長野豊山に学ぶ。一柳氏に仕えたが致仕。のち土浦藩主の賓師となり学政・郡務に功績をあげたが辞して江戸に帰る。ペリー来航後《海防備論》を著し,《芻言(すうげん)》を徳川斉昭に献じた。時政を誹謗(ひぼう)したとして安政の大獄に連座し,5年後許されたがほどなく病死した。著書は《弘庵文集》《春雨楼詩抄》など。【頼 祺一】

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大辞林 第三版の解説

ふじもりこうあん【藤森弘庵】

1799~1862) 江戸末期の儒学者。江戸の人。名は大雅、通称は恭助、号は天山・如不及斎など。朱子学者古賀穀堂・同侗庵らに学ぶ。海防を論じ、水戸斉昭に上書した。安政の大獄に連座して隠居。著「海防備論」「新政談」「如不及斎文鈔」など。

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367日誕生日大事典の解説

藤森弘庵 (ふじもりこうあん)

生年月日:1799年3月11日
江戸時代末期の儒学者
1862年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典内の藤森弘庵の言及

【土浦藩】より

…一方,1833年には領内常陸新治郡坂村で百姓一揆が発生する等,各所で不穏な情勢が起きた。このため,38年土屋寅直の襲封前後より,その側近大久保要らを中心に藩政改革の気運が起こり,儒学者藤森弘庵や同藩の名主出身で水戸藩天保検地の実務を担当した農政学者長島尉信らを登用し,農村の復興政策や藩士の教育,軍制の改革が試みられた。幕末期には水戸藩の影響を受け,飯泉一蔵,佐久良東雄ら尊王攘夷派の志士が出たが,安政の大獄で大久保要以下が処罰されると,改革も中断し明治維新に及んだ。…

※「藤森弘庵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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