長野豊山(読み)ながの ほうざん

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「長野豊山」の解説

長野豊山 ながの-ほうざん

1783-1837 江戸時代後期の儒者
天明3年7月28日生まれ。大坂中井竹山(ちくざん),江戸昌平黌(しょうへいこう)で古賀精里,尾藤二洲(じしゅう)らにまなぶ。文化10年伊勢(いせ)(三重県)神戸(かんべ)藩の藩校教倫堂学頭となる。のち上野(こうずけ)前橋藩の藩校博喩堂(はくゆどう)教授。天保(てんぽう)8年8月22日死去。55歳。伊予(いよ)(愛媛県)出身。名は確。字(あざな)は孟確。通称は友太郎。著作に「松陰快談」「嘉声軒文約」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「長野豊山」の解説

長野豊山 (ながのほうざん)

生年月日:1783年7月28日
江戸時代後期の儒者
1837年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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