改訂新版 世界大百科事典 「藤植検校」の意味・わかりやすい解説
藤植検校 (ふじえけんぎょう)
18世紀半ばに活躍した盲人音楽家。〈藤上〉とも書く。都名(いちな)は喜古一。1736年(元文1)岡永検校わさ一のもとで,検校に登官。胡弓の弦数を3弦から4弦に改め(第3,第4弦同調律の複弦),以後この四弦胡弓による胡弓音楽が,江戸で藤植流として普及した。《栄(さかえ)獅子》《越天楽》《鶴の巣籠》などの本曲12曲のほか,《岡康(安)砧》《松竹梅》も本曲に加えられる。山田流箏曲と結びついて,その三曲合奏の胡弓のパートを外曲として伝承。藤植の名は,元幸一,親朦一(1777登官),植一(1800登官),光孝一,寿軒一(1827登官),和専一(1832登官)などに受け継がれた。植一は第71代江戸惣録をつとめた。藤植流は,7代藤植を称した植(上)崎秋峰から,山室保嘉(1839-1907),山室千代子(1875-1951)と伝承され,千代子の門下が千代見会を結成してその保存につとめている。
執筆者:平野 健次
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報