山室千代子(読み)ヤマムロ チヨコ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「山室千代子」の解説

山室 千代子
ヤマムロ チヨコ


職業
箏曲家(山田流),胡弓奏者(藤植流)

肩書
藤植流家元,山田流箏曲研究会主宰,千代見会主宰

本名
三輪 千代子

旧名・旧姓
小島

生年月日
明治8年 12月25日

出生地
東京・本所

経歴
13歳で山室保嘉養女となり、養父のほか3代目山勢松韻、山登万和、櫛田栄清に師事。明治40年養父没後、藤植流胡弓家元となり、大正・昭和期の胡弓の第一人者となった。箏曲家としても美声で知られ、今井慶松、3代目荒木古童と移風会に参加して胡弓本曲を演奏、古童の尺八と胡弓との掛合演奏は話題になった。自らも山田流箏曲研究会、千代見会を主宰。三輪家に嫁し、三輪千代とも名乗る。箏曲作曲に「静御前」。門下竹内和代、山田広代、市川雛代らが伝承する胡弓は記録無形文化財に選択された。

所属団体
移風会

没年月日
昭和26年 6月21日 (1951年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「山室千代子」の解説

山室 千代子
ヤマムロ チヨコ

明治〜昭和期の箏曲家(山田流),胡弓奏者(藤植流) 藤植流家元;山田流箏曲研究会主宰;千代見会主宰。



生年
明治8年12月25日(1875年)

没年
昭和26(1951)年6月21日

出生地
東京本所

本名
三輪 千代子

旧姓(旧名)
小島

経歴
13歳で山室保嘉の養女となり、養父のほか3代目山勢松韻、山登万和、櫛田栄清に師事。明治40年養父没後、藤植流胡弓家元となり、大正・昭和期の胡弓の第一人者となった。箏曲家としても美声で知られ、今井慶松、3代目荒木古童と移風会に参加して胡弓本曲を演奏、古童の尺八と胡弓との掛合演奏は話題になった。自らも山田流箏曲研究会、千代見会を主宰。三輪家に嫁し、三輪千代とも名乗る。箏曲作曲に「静御前」。門下の竹内和代、山田広代、市川雛代らが伝承する胡弓は記録無形文化財に指定された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山室千代子」の解説

山室千代子 やまむろ-ちよこ

1875-1951 明治-昭和時代の胡弓(こきゅう)奏者,箏曲(そうきょく)家。
明治8年12月25日生まれ。養父の山室保嘉(やすよし)に師事し,明治40年胡弓藤植(ふじえ)流家元をつぐ。尺八の2代荒木古童,箏の今井慶松らと移風会をおこし,共演した。山田流箏曲研究会,千代見会を主宰。門下に山田広代,市川雛代ら。昭和26年6月21日死去。75歳。東京出身。旧姓は小島,結婚して三輪。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の山室千代子の言及

【藤植検校】より

…植一は第71代江戸惣録をつとめた。藤植流は,7代藤植を称した植(上)崎秋峰から,山室保嘉(1839‐1907),山室千代子(1875‐1951)と伝承され,千代子の門下が千代見会を結成してその保存につとめている。【平野 健次】。…

※「山室千代子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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