藤沢宿
ふじさわしゆく
[現在地名]藤沢市藤沢・藤沢一―五丁目・本町一―四丁目・善行一―三丁目・朝日町・南藤沢・鵠沼花沢町・鵠沼石上一丁目・鵠沼東・藤が岡一―三丁目・大鋸一―三丁目・西富一―二丁目
境川右岸の高座郡大久保町・坂戸町と左岸の鎌倉郡大鋸町の三町からなる東海道の宿駅。江戸より一二里半で六番目の宿。東は戸塚宿(現横浜市戸塚区)へ二里、西は平塚宿(現平塚市)へ三里半。また八王子道は亀井野村へ一里九町、大山道は一之宮村(現高座郡寒川町)へ三里、鎌倉道は雪下村(現鎌倉市)へ二里、江の島へは一里余。
伊勢神宮の御師久保倉氏の記した永正一五年(一五一八)一二月二五日の御道者日記(氏経卿引付)には「さかみ国、在所藤沢」、室町―戦国期と推定される那智山実報院檀那持分目録(茅ヶ崎市史一)にも「藤沢の中書房」とあり、中世藤沢において伊勢・熊野の御師の布教活動を知ることができる。「藤沢大鋸町」に住む大鋸引の棟梁森弥五郎に宛てた弘治元年(一五五五)一二月二三日の北条家朱印状(県史三)に伝馬役のことがみえ、この頃には清浄光寺(遊行寺)の門前や大鋸町を中心として宿駅機能を果していたと考えられる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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