藤田 達芳
フジタ タツヨシ
- 肩書
- 衆院議員,東浜塩産社長
- 旧名・旧姓
- 旧姓=小野
- 生年月日
- 安政5年6月28日(1858年)
- 出生地
- 伊予国新居郡多喜浜(愛媛県新居浜市)
- 学歴
- 東京専門学校卒
- 経歴
- 伊予多喜浜で製塩業を営む。明治11年多喜浜地区の代表者として瀬戸内海沿岸の製塩業者で構成された十州同盟塩戸会議に出席。東京専門学校の第一期生として卒業ののち、26年に東浜塩産株式会社を設立して社長に就任、衰微しつつあった多喜浜の製塩業復興に乗り出した。27年衆議院議員に当選、以来一貫して塩業の発展と塩の専売制確立に尽力し、大日本塩業同盟委員として香川県の鎌田勝太郎と共に「清国ヘノ塩輸出」を提案。また29年に設立された大日本塩業協会の評議員や幹事なども務める。31年塩業調査会委員として台湾の製塩業を視察。34年には秋良貞臣と共に「塩田国有論」を唱え、38年の塩専売法の成立に貢献した。
- 没年月日
- 大正12年6月21日
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
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藤田 達芳
フジタ タツヨシ
明治・大正期の塩業家,政治家 東浜塩産社長;衆院議員。
- 生年
- 安政5年6月28日(1858年)
- 没年
- 大正12(1923)年6月21日
- 出生地
- 伊予国新居郡多喜浜(愛媛県新居浜市)
- 旧姓(旧名)
- 小野
- 学歴〔年〕
- 東京専門学校卒
- 経歴
- 伊予多喜浜で製塩業を営む。明治11年多喜浜地区の代表者として瀬戸内海沿岸の製塩業者で構成された十州同盟塩戸会議に出席。東京専門学校の第一期生として卒業ののち、26年に東浜塩産株式会社を設立して社長に就任、衰微しつつあった多喜浜の製塩業復興に乗り出した。27年衆議院議員に当選、以来一貫して塩業の発展と塩の専売制確立に尽力し、大日本塩業同盟委員として香川県の鎌田勝太郎と共に「清国ヘノ塩輸出」を提案。また29年に設立された大日本塩業協会の評議員や幹事なども務める。31年塩業調査会委員として台湾の製塩業を視察。34年には秋良貞臣と共に「塩田国有論」を唱え、38年の塩専売法の成立に貢献した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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藤田達芳
没年:大正12.6.21(1923)
生年:安政5.6.28(1858.8.7)
明治大正期,伊予多喜浜(新居浜市)の塩業家。小野家に生まれ,のち藤田家の養子。明治11(1878)年の十州同盟塩戸会議に多喜浜代表とし参加。苦学して東京専門学校(早大)第1回生となる。26年多喜浜復興のため東浜塩産株式会社にまとめ,社長に就任。また23年衆院議員に当選。大日本塩業同盟の委員として,鎌田勝太郎(香川県)らと共に「清国へノ塩輸出」を衆院に提出した。29年大日本塩業協会の設立に参画し評議員,幹事を歴任。31年政府の塩業調査会委員として台湾の塩業調査に派遣された。塩業制度の特別委員として,34年秋良貞臣(山口県)と共に「塩田国有論」を提唱した。<参考文献>村上正夫「藤田達芳氏と塩田国有論」(『塩業展望』9巻2号)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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藤田達芳 ふじた-たつよし
1858-1923 明治-大正時代の実業家。
安政5年6月28日生まれ。明治26年郷里愛媛県の新居郡(にいぐん)多喜浜(たきはま)村(新居浜市)に東浜(ひがしはま)産塩を設立。27年衆議院議員。秋良貞臣(あきら-さだおみ)とともに塩田国有論を提唱し,その主張は38年の塩専売法に結実した。大正12年6月21日死去。66歳。東京専門学校(現早大)卒。本姓は小野。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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