20世紀日本人名事典 「藤野政高」の解説
藤野 政高
フジノ マサタカ
- 生年
- 安政3年5月25日(1856年)
- 没年
- 大正4(1915)年6月30日
- 出生地
- 伊予国松山(現・愛媛県松山市)
- 経歴
- 伊予松山藩士の子として生まれ、藩校明教館に学ぶ。のち上京して法律を修め、代言人の資格を取得。明治11年に帰郷し、長尾忠明らが主宰する自由民権結社・公共社に加入、愛媛県下における民権運動の中心として活躍した。19年愛媛県議に当選し、20年三大事件建白者の総代として上京するが、保安条例に抵触して東京から強制退去。23年第一回総選挙に立候補して当選、以後3期に渡って代議士を務めるが、資金難のため27年9月の総選挙には出馬しなかった。その後、憲政会や政友会の愛媛県支部代表や「海南新聞」(のちの「愛媛新聞」)社長を務めるなど、愛媛県の政界に影響力を持ち続けたが、42年の三津浜築港疑獄事件で逮捕され、政界を引退。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報