保安条例
ほあんじょうれい
明治時代、反政府言動を弾圧した法律。第一次伊藤博文(ひろぶみ)内閣の井上馨(かおる)外相の下で進められた条約改正交渉は、外国人犯罪裁判に外国人裁判官を採用するなどの条件で1887年(明治20)にいちおうの妥結をみた。しかしこれは日本の法権を侵害する屈辱的なものであるとして、自由民権派の政府攻撃が高まり、言論集会の自由、地租軽減、外交挽回(ばんかい)(条約改正)を内容とする三大事件建白運動が展開された。倒閣運動へと激化するのを恐れた山県有朋(やまがたありとも)内相、三島通庸(みちつね)警視総監の下で、同年12月25日突如公布、即日施行されたのが本法である。全7条のうち、内乱陰謀や治安妨害のおそれある者を3年以内、皇居外三里の地へ退去せしめるとした第4条が主体である。26日から数日間に、星亨(とおる)、尾崎行雄(ゆきお)、片岡健吉、中江兆民(ちょうみん)ら民権派の論客570名に退去命令が出て、片岡ら抵抗者は投獄された。その後も発動されたが、98年6月廃止となった。
[松永昌三]
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保安条例
ほあんじょうれい
明治 20年勅令 67号。 1887年 12月 26日に公布された治安法規。第1次伊藤博文内閣の外相井上馨の条約改正交渉をきっかけに,大同団結運動,三大事件建白 (1887.10.) で高揚した自由民権運動の弾圧をねらったもので,内相山県有朋,警視総監三島通庸が突如公布し即日施行した。全文7ヵ条。 (1) 秘密結社や集会の禁止,(2) 屋外での集会に対する警察官の任意的解散権,(3) 一定地域での全般的な集会禁止,旅行,移動の自由を制限する権限を警察官に与えること,(4) 内乱陰謀,治安妨害に供される出版用機器の全般的没収,(5) 検閲,(6) 内乱を陰謀,教唆し,または治安を妨害するおそれのある者の皇居ないしは行在所外3里 (11.8km) の地への退去を規定した。このため同 26日夜から 28日までに星亨,尾崎行雄,中江兆民ら 451人が追放された。 98年6月 25日に廃止された。
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保安条例
ほあんじょうれい
1887(明治20)年公布された反政府運動弾圧法規
井上馨の条約改正案反対を契機として,自由民権運動家を中心に言論の自由・地租軽減・外交の挽回を要求する三大事件建白運動が激化した。政府は,内相山県有朋,警視総監三島通庸 (みちつね) らが中心となり,これに対抗するため保安条例を公布し,秘密の結社・集会の禁止,内乱の陰謀・治安妨害の恐れある者の皇居外3里の地への退去を命じ,尾崎行雄・片岡健吉・星亨 (とおる) ・中江兆民ら570名を追放した。
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ほあん‐じょうれい ‥デウレイ【保安条例】
〘名〙 明治二〇年(
一八八七)
伊藤内閣が公布施行した自由民権運動を弾圧するための条例。言論・集会・秘密結社の禁止、出版の取締り、また治安を妨害するおそれのある者に皇居の三里(約一二キロメートル)以内からの退去を命ずることなどを規定した。同三一年廃止。
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ほあんじょうれい【保安条例】
1887年12月25日公布,即日施行の民権運動弾圧法規。7ヵ条からなる。内乱を陰謀・教唆したり治安に妨害ありと認められる者を,3年間以内,皇居または行在所(あんざいしよ)の3里外に追放できるとした第4条,および秘密結社・秘密集会・秘密出版を厳禁した第1,3条が中心であるが,ほかに警官に集会禁止権を与えたり(第2条),内閣が必要と認めれば一定地方に期限を定め,集会の許可制,印刷物の事前検閲制,銃刀火薬類の携帯運搬販売禁止,旅人の出入検査制(旅券制)を施行できる(第5条)という準戒厳令の内容も盛られている。
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世界大百科事典内の保安条例の言及
【構】より
…以後主家からの出奔は武士にとって容易なことではなくなった。近代に至って,追放刑の廃止,封建的身分制度の廃止により構の概念も消滅したが,1887年の保安条例は,内務大臣山県有朋が,民権家に対する〈江戸御構〉として構想した立法であった。【加藤 英明】。…
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