日本歴史地名大系 「裏木曾三ヵ村」の解説
裏木曾三ヵ村
うらきそさんかそん
現在の恵那郡
木曾は「続日本紀」大宝二年(七〇二)一二月一〇日条に「始開美濃国岐蘓山道」とあり、「三代実録」元慶三年(八七九)九月四日条に「吉蘇・小吉蘇両村」は美濃国であるとの境界紛争の裁決がなされている。木曾が信濃国になるのは、元禄一四年(一七〇一)江戸幕府の国絵図再製作以後のことである。一四世紀半ばから、伊勢遷宮材が美濃山に設定されるが、どの地域をさし、どの範囲を示すかは特定できない。裏木曾の伐木に関する初見は、文安五年(一四四八)四月の南禅寺仏殿用材刻印案(新南禅寺文書)に「みのゝ国つけち山」「みのゝ国いてのこうり山」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報