西中島村(読み)にしなかじまむら

日本歴史地名大系 「西中島村」の解説

西中島村
にしなかじまむら

[現在地名]石鳥谷町西中島

東側を蛇行して南流する北上川が形成した沖積地にあり、北は耳取みみとり川で八幡はちまん村、西は奥州街道を境に中寺林なかてらばやし村・小森林こもりばやし村。近世には西中嶋村と書かれることが多い。元和八年(一六二二)一〇月二五日の南部利直蔵入物成申付状(花巻宗青寺文書)に西中島の地名があげられる。正保国絵図に村名があり、高一一二石余。天和二年(一六八二)の惣御代官所中高村付では蔵入高一三一石余、七ヵ年平均の免は三ツ九分二厘八毛。


西中島村
にしなかじまむら

[現在地名]姫路市西中島増位新町ますいしんまち一―二丁目

飾東しきとう郡に所属。いち川の右岸市川船場せんば川の分岐点の中洲に位置し、南は野里のざと村。慶長国絵図に「西中嶋村」とみえる。江戸時代を通して姫路藩領。大庄屋支配は野里村と同じ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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