日本歴史地名大系 「西倉吉町」の解説
西倉吉町
にしくらよしまち
東倉吉町の西にあり、北西へ延びる通り両側の町人町。西は
町禄は畳仕立・茣蓙・呉服・太物・小間物が尾高町とともに許可され、東倉吉町と同様宿屋株も許されていた。宿屋は新庄屋・池谷屋・高島屋・福山屋・斎藤屋・油藤屋・岩見屋などがあった(「御用日記」鹿島家文書)。止宿人扱いについては届出を厳しく要求され、文久元年(一八六一)阿波国の紡車卸売業者が許可なく因伯両国で紡車等を売る商人の差止めを訴えた際、これら商人の止宿先として西町宿の岩見屋助右衛門の名があげられ(在方諸事控)、慶応四年(一八六八)には新庄屋が止宿人届出遅れを追及された(前掲御用日記)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報