西内義顕(読み)ニシウチ ヨシアキ

20世紀日本人名事典 「西内義顕」の解説

西内 義顕
ニシウチ ヨシアキ

江戸時代末期〜大正期の養蚕家



生年
天保15年10月12日(1844年)

没年
大正12(1923)年2月27日

出生地
土佐国土佐郡一宮村(高知県高知市)

別名
幼名=嘉馬次

主な受賞名〔年〕
藍綬褒章〔大正6年〕

経歴
土佐郡一宮村士族・島田用七の二男に生まれ、文久2年小高坂村郷士・西内清蔵の養子となり清蔵正明の娘・登良と結婚し跡目を継ぐ。同年京都に出て、4年海防小頭役、慶応3年砲術取立役などを務め、4年東征に従軍し、戊辰の役に参加。明治4年陸軍少尉親兵となる。6年依願退官し一旦帰郷したが、旧士族救済のため養蚕業振興を計画、群馬県養蚕を視察し、滋賀県から桑の苗を高知県に試植し養蚕業の発展に努める。9年高知県勧農係となる。22年西カ原養蚕試験場の講習会に参加、以来西カ原伝習所で研究、種々の交配により高知県産の良種の製出に成功した。28年官を辞し、高知県蚕糸同業組合を設立し、組合長に就任。大正6年藍綬褒章を受賞。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「西内義顕」の解説

西内義顕 にしうち-よしあき

1853-1923 明治-大正時代の養蚕家。
嘉永(かえい)6年生まれ。群馬県で養蚕を視察し,滋賀県から桑の苗を高知県にとりよせて試植し養蚕業の発展につとめる。明治28年高知県蚕糸同業組合を設立し,組合長。大正12年3月12日死去。71歳。土佐(高知県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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