西原清東(読み)サイバラ セイトウ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「西原清東」の解説

西原 清東
サイバラ セイトウ


肩書
衆院議員(立憲政友会),同志社社長

生年月日
文久1年9月8日(1861年)

出身地
土佐国高岡郡出間村(現・高知県土佐市出間)

学歴
立志学舎

経歴
明治17年立志学舎に入り、司法代言人(弁護士)の資格を得る。31年には全国最年少の38歳で、憲政党から衆院議員に当選。翌32年同志社社長に就任。35年渡米して、ハートフォードの神学校に入学。のちテキサス州ウェブスターに西原農場を創設郷里より移民を導入してテキサス米を作り“ライス・キング”と呼ばれた。大正7年ブラジルへ再移民、在14年で甘蔗栽培や米作りを試みた。この間、移民会社支配人として移民促進に尽力、“移民の父”といわれた。

没年月日
昭和14年4月11日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

関連語 学歴

20世紀日本人名事典 「西原清東」の解説

西原 清東
サイバラ セイトウ

明治〜昭和期の農園経営者 同志社社長;衆院議員(立憲政友会)。



生年
文久1年9月8日(1861年)

没年
昭和14(1939)年4月11日

出身地
土佐国高岡郡出間村(現・高知県土佐市出間)

学歴〔年〕
立志学舎

経歴
明治17年立志学舎に入り、司法代言人(弁護士)の資格を得る。31年には全国最年少の38歳で、憲政党から衆院議員に当選。翌32年同志社社長に就任。35年渡米して、ハートフォードの神学校に入学。のちテキサス州ウェブスターに西原農場を創設、郷里より移民を導入してテキサス米を作り“ライス・キング”と呼ばれた。大正7年ブラジルへ再移民、在14年で甘蔗栽培や米作りを試みた。この間、移民会社支配人として移民促進に尽力、“移民の父”といわれた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「西原清東」の解説

西原清東 さいばら-きよき

1861-1939 明治-昭和時代前期の農場経営者,政治家
文久元年9月8日生まれ。明治19年弁護士,31年衆議院議員(政友会),32年同志社社長。37年アメリカのテキサス州に西原農場を開設,米作に成功してライス-キングとよばれた。昭和14年4月11日死去。79歳。土佐(高知県)出身。神田茂松学校中退。通称は清東(せいとう)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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