日本歴史地名大系 「西室院」の解説 西室院にしむろいん 和歌山県:伊都郡高野町高野山一心院谷西室院[現在地名]高野町高野山蓮華定(れんげじよう)院の南東、旧金光(こんこう)院の敷地にある。別格本山。本尊不動明王は空海の護持仏と伝える。元禄五年(一六九二)の高野聖断のときまでは谷上院(たにがみいん)谷の無量寿(むりようじゆ)院の東にあったが、南(みなみ)谷の成蓮(じようれん)院の南に移り(続風土記)、明治一四年(一八八一)には当地に移った。文明五年(一四七三)の諸院家帳では谷上院道北にみえ、「興胤山籠建立延久比人也」とある。寺伝によれば、北室・東室・南室とともに空海在世時の四室の一つに始まり、その後、高野山検校雅真(長保元年没)・執行興胤(承保二年没)らが住した。 西室院にしむろいん 奈良県:高市郡高取町清水谷村西室院[現在地名]高取町大字清水谷小字寺ノ辻宝光山冷水(せいすい)寺と号し、真言宗大覚寺派。本尊不動明王。もとは霊鷲(りようじゆ)寺の一院で、「越智家譜伝」の天文四年(一五三五)条に寺名がみえる。寛文年中(一六六一―七三)に再興、文政二年(一八一九)には本堂を焼失。庫裏は天誅組の軍使那須信吾が高取藩月家老と会見した俵屋(たわらや)旅館を大正八年(一九一九)に移建したもの。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by