清水谷村(読み)しみずだにむら

日本歴史地名大系 「清水谷村」の解説

清水谷村
しみずだにむら

[現在地名]池田町清水谷

足羽あすわ川に注ぐ支流清水谷川に沿ってできた村。東は足羽川を挟んで野尻のじり村。西方、清水谷峠を通り今立や鯖江に通ずる。「当国御陳之次第」(金沢市立図書館蔵)によると、文明三年(一四七一)「同九月十一日池田清水谷ニ栂野和泉守討死」とある。村名は慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図にみえ、高二四〇・三石とある。正保郷帳では田方一六七石余・畠方七二石余。享保六年(一七二一)の池田郷中村々明細帳の写(片山家蔵)によれば反別一七町二反余(田一〇町五反余・畠六町五反余)で上・中の田畠が多い。家数六六(本百姓一九・水呑四六・道場一)、人数二七七(男一四三・女一三四)、牛一〇疋。


清水谷村
しみずだにむら

[現在地名]金沢市清水谷町

古屋谷ふるやだに村の東に位置。長享二年(一四八八)の一向一揆の際、守護富樫政親を救援しようとした越中軍勢は、加賀の一揆勢越智伯耆守・若林藤内らに倶利伽羅くりから峠で迎撃されて惨敗、石動嶽から回った七〇〇余騎は山中に道を失い「清水が谷へまくり落されて、一人も残らず」討たれたという(加国官知論)

正保郷帳によれば高一一七石余、田方五町二反余・畑方二町五反余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印の高一二七石、免四ツ一歩、小物成は山役一五五匁・蝋役一匁・綿役二匁(三箇国高物成帳)。寛文年間の家高数七・百姓数一〇(高免付給人帳)


清水谷村
しみずたにむら

[現在地名]高取町大字清水谷

吉備きび川上流両岸にわたる壺阪街道の街村。シミッタニともいい、「冷水谷」とも書く(大和志)。「西国名所図会」には「清水井。同村高どのやと云る在家の内にあり、近郷にならびなき清泉なり。土人曰く、此清水あるをもつて地名を清水谷と号すとぞ」とある。

近世は高取藩領で文禄四年(一五九五)検地の村高六三六石、検地奉行石田正澄


清水谷村
しみずだにむら

[現在地名]柏崎市清水谷

川上流、黒姫くろひめ山北西麓の村。東は女谷おなだに村。近世の支配女谷村と同じ。正保国絵図に高五三石余。天和三年(一六八三)の越後中将御領覚では高五九石七斗余。同二年の検地帳(弘前市立図書館蔵)表紙には「女谷村之内清水谷村」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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