日本歴史地名大系 「西宿村」の解説 西宿村にしじゆくむら 大阪府:箕面市西宿村[現在地名]箕面市西宿・白島(はくしま)一丁目・外院(げいん)一丁目芝(しば)村の北東にある。村の南部は千里丘陵の北端にあたり、北部を東西に西国街道が通る。集落は街道沿いにある。豊島(てしま)郡に属し、萱野(かやの)郷一一ヵ村の一。慶長一〇年(一六〇五)摂津国絵図に「西宿村」とみえ、元和初年の摂津一国高御改帳では「西宿久」とある。寛永―正保期(一六二四―四八)の摂津国高帳では萱野村の高六一三石余のなかに含まれる。享保二〇年(一七三五)摂河泉石高調では村高七六石余。領主の変遷は西稲(にしいな)村に同じ。文政一一年(一八二八)の免割帳(久住家文書)によると百姓一六、組頭三、庄屋・年寄各一。入会山は萱野郷立会の萱野山。 西宿村にしじゆくむら 滋賀県:近江八幡市西宿村[現在地名]近江八幡市西宿町野田(のだ)村の南にあり、村内を南西―北東に走る中山道(中世東海道)沿いに集落が発達。地名は古くから同街道の宿であった武佐(むさ)宿に西接することに由来する。寛永石高帳では高四八四石余、うち旗本一尾領一四二石余・同佐々木領八六石余・同野一色領二五五石余。慶安二年書上によると田三九一石余・畑屋敷六七石余・永荒二六石余。佐々木領分は元禄一一年(一六九八)和泉大庭寺藩渡辺氏(のち渡辺氏は居所を移し伯太藩となる)領となり、この三者の相給で幕末に至る。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by