日本歴史地名大系 「西山庄」の解説 西山庄にしやまのしよう 兵庫県:三原郡南淡町西山庄賀集(かしゆう)庄の西部域、山路(やまじ)川流域に成立した庄園で、現賀集八幡北(かしゆうやはたきた)・同八幡中・同八幡南一帯に比定される。賀集庄・福良(ふくら)庄とともに賀集八幡宮を鎮守社とし、賀集三ヵ庄とも称された。貞応元年(一二二二)八月日の沙弥尋蓮譲状案(勧修寺家文書)に西山庄とみえ、尋蓮(平業兼か)は相伝の手継ぎ証文を添えて紀州高野山宝幢(ほうどう)院領の当庄ほかを嫡子平業光に譲っている。業光は母没後の嘉禎三年(一二三七)二月八日、相伝家地を御堂(無対光院)にして浄土寺殿(丹後局高階栄子、業光の祖母)の菩提を弔うこととし、当庄ほかを妹の治部卿局に譲った(「平業光・光蓮連署譲状」同文書)。庄内に賀集八幡宮寺(護国寺)の仁王経田五反・灯油田一反などがあった(至徳三年六月一日「賀集八幡宮寺領田地注文」護国寺文書)。 西山庄にしやまのしよう 奈良県:宇陀郡大宇陀町西山村西山庄三箇院家抄(内閣文庫蔵大乗院文書)の宇多郡庄々郷々注文の一乗院方に「西山重色」とみえる。西山庄は興福寺一乗院領荘園と考えられる。重色領であるが詳細は不明。宇陀郡田地帳案(春日神社文書)には「西山(にしやま)庄 定田十町八反 分米七十石」とある。面積は一〇町余である。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by