西江原村(読み)にしえばらむら

日本歴史地名大系 「西江原村」の解説

西江原村
にしえばらむら

[現在地名]井原市西江原町

山野上やまのうえ村の南にあり、東は東江原村。南辺を小田おだ川が東流、支流雄神おがみ川が南流して合流する。雄神川上流の道祖どうそ渓は数多くの奇岩・滝が織りなす景勝や紅葉で知られ、県指定名勝。東江原村とともに古代荏原えはら(和名抄)、中世荏原郷の遺称地。西方寺戸てらど村とは耕地が入会い、一村同様であった。小田川の北側を山陽道が走り、東部の今市いまいち矢掛やかげ宿(現小田郡矢掛町)七日市なぬかいち宿の間宿で、正保郷帳では今市村として枝村に載る。年未詳の後三月二〇日付の備中国奉行小堀政一書状(佐治文書)に「西江原」とあり、小堀権左衛門に当地支配の諸注意などを与えている。慶長九年(一六〇四)には「西荏原之内」田二〇石が法泉ほうせん寺に寄進されている(「小堀作介奉書写」法泉寺文書)

寛永備中国絵図では山崎家治先知高三七五石余・松山藩領高一千三一一石・永正えいしよう(祥)寺領高三五石・法泉寺領高二〇石・六条院中ろくじよういんなか(現浅口郡鴨方町)みよう(妙)おう院領高一〇石の相給。正保郷帳では前出三寺領と幕府領高一千六八六石の相給で、今市村のほかに高戸村・高曾村・長谷ながたに村が枝村に載る。以降は寺領を除く領主変遷下出部しもいずえ村と同じであったと思われる。元禄郷帳では三寺領のほかに鴨方かもがた(現鴨方町)長川ちようせん寺領(旧高旧領取調帳では高一石余)が加わる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報