山野上村(読み)やまのうえむら

日本歴史地名大系 「山野上村」の解説

山野上村
やまのうえむら

[現在地名]市場町山野上

興崎こうざき村の東に位置し、撫養むや街道が通る。古くは大野島おおのじまのうちであったと伝え、真言系の古刹大野おおの寺がある。同寺の北東御墓みはかの墓地と通称される地に応安四年(一三七一)・同七年銘の板碑、法眼定金が法阿の三十三回忌の際に建立した永和元年(一三七五)銘の宝篋印塔がある。中世には秋月あきづき庄のうちであったと想定されている(寛永一七年八幡神社棟札銘文)。天正一九年(一五九一)検地帳(一冊、市場町史)が残る。文禄二年(一五九三)蜂須賀家政から「秋月 大工惣兵衛」が「其村五拾石」を宛行われているが(同年一二月一四日「蜂須賀家政判物」笠井家文書)、惣兵衛は当地の者で、朝鮮半島への出兵に参陣した功であったと考えられる。


山野上村
やまのうえむら

[現在地名]井原市野上町のがみちよう

青野あおの村の東、現市域の北端標高約三〇〇メートルの高原に位置する。山之上村とも記した。慶長一一年(一六〇六)の徳川家康朱印状(高山公実録)には「山上村」とあり、後月しつき郡に属し、高四一三石余、伊予の藤堂高虎に加賜されている。寛永備中国絵図では山崎家治先知とある。正保郷帳では幕府領で、枝村に福谷村・苅原村・伊丹村が載る。延宝五年(一六七七)の検地帳(後月郡誌)では古検有畝四八町七反余とあり、田方四八町八反余・分米三七〇石余、畑方四五町四反余・分米一八〇石余、屋敷二町余・分米二〇石余で、茶一千三四三株・楮一千一五七株が顕著である。


山野上村
やまのうえむら

[現在地名]鹿島町山之上やまのうえ

水神すいじん川上流の台地上にあり、東は猿田さるた村。鎌倉中期は鹿島郡南条北宿内に含まれ、弘安二年(一二七九)の大田文に「同宿内山上二丁」「同宿内小佐三丁四段大」とあり、また同年一一月七日の坂戸神主占部忠常証文(鹿島神宮文書)には「鹿嶋郡坂戸村寺畠荒野之事」として「四至(中略)西限山上辻」ともみえる。天正一九年(一五九一)東義久知行地となり、文禄四年(一五九五)の中務大輔当知行目録(秋田県立図書館蔵)に「百九拾四石九斗三升 山上」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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