日本歴史地名大系 「西長江村」の解説 西長江村にしながえむら 富山県:富山市旧上新川郡地区西長江村[現在地名]富山市西長江一―四丁目・西長江本町(にしながえほんまち)・石金(いしがね)一丁目・西長江鼬(いたち)川の東部、赤江(あかえ)川左岸に位置し、五百石(ごひやつこく)往来が通る。東は東長江村。正保郷帳では高五七〇石余、田方三八町余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では草高三四三石、免四ツ(三箇国高物成帳)。所属組は粟島(あわじま)村と同じ。万治三年(一六六〇)の加賀・富山両藩の領地替の際、富山藩領との境として同藩領稲荷(いなり)村境に四、清水(しみず)村境に一三の境塚が築かれ、延宝六年(一六七八)稲荷村境に一、双代(そうたい)村(西双代村)境に一、清水村境に八が増築された(高堂家文書)。 西長江村にしながえむら 島根県:松江市旧秋鹿郡地区西長江村[現在地名]松江市西長江町東長江村の西に位置し、南は宍道湖に臨む。北は経塚(きようづか)山(三二一メートル)・猪目(いのめ)峠を挟んで古(こ)浦(現鹿島町)に接する。経塚山を「出雲国風土記」にみえる秋鹿郡足日(たるひ)山に比定する説がある。西長江川は朝日(あさひ)山から発し、南流して宍道湖に注ぐ。湖岸を杵築道が通る。郷帳類などには東長江村と合せて長江村とみえる。中世は長江郷に含まれていたとみられる。慶長七年(一六〇二)の長江村検地帳が残り、正保国絵図に長江村がみえる。「雲陽大数録」に西長江五一〇石とある。寛延四年(一七五一)の秋鹿郡西組村々万差出張(県立図書館蔵)によると高五一五石余、屋敷数は御役御免屋敷二・御役目屋敷二一、家数は本百姓二一・名子間脇二九、人数三九四、郷蔵一、渡海船・伝渡船各一があり、御立山が扇谷(おうぎだに)に一ヵ所あった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by