東須恵村(読み)ひがしすえむら

日本歴史地名大系 「東須恵村」の解説

東須恵村
ひがしすえむら

[現在地名]宇部市大字東須恵小野田市大字小野田の各一部

厚狭あさ郡南部の丘陵瀬戸内海に向けて突出して本山もとやま半島を形成し、そのほぼ中央に位置する。北東際波きわなみ南東妻崎開作つまざきかいさく、南は西須恵にしすえ(現小野田市)北西有帆ありほ川を挟んで東高泊ひがしたかとまり(現小野田市)の各村に接し、西は周防灘に面する。萩藩領で舟木宰判に属する。

村名は、隣接する西須恵村域の本山半島南部が古代須恵器の生産地であったことに由来するとされる。

貞治三年(一三六四)一〇月二〇日付の浄名寺知行分目録(「寺社証文」所収浄名寺文書)に「須恵分」とみえる。


東須恵村
ひがしすえむら

[現在地名]長船町東須恵

現長船町の南東部に位置し、東は佐山さやま(現備前市)、南は庄田しようだ(現邑久町)、西は西須恵村に接する。現邑久町の千町せんちよう平野を潤す千町川が、南西へと流れる。「東備郡村志」に「千町渠せんちよのかは 水原佐山村・飯井村より出で須恵に至て漸く川と成り、西南に流れ、東幸田村にて海に入る」とある。西須恵村とともに古代の邑久郡須恵郷(和名抄)の遺称地とされ、中世には一帯に須恵保が成立していた。正平八年(一三五三)には同保地頭職が出雲雲樹うんじゆ(現島根県安来市)に寄進されている(同年五月二二日「後村上天皇綸旨」雲樹寺文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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