西高洲新地
にしたかすしんち
[現在地名]尼崎市西高洲町
西新城屋新田の南の地先に開かれた新地。碇の水尾の西側にあり、東高洲新地とともに明和(一七六四―七二)頃尼崎藩が埋立てたが、安永三年(一七七四)の高潮により荒廃した。藩は尼崎惣町に払下げて開発を命じ、同六年約五〇町歩を惣町もちの新田として高入れしたが、維持には多くの費用が入用であった。天明四年(一七八四)藩は身元相応の者一〇人に銀一二〇貫目の上納を命じ新地を下渡したが、寛政三年(一七九一)八月大風・大波で堤切れし荒地となった(尼崎市史)。同一〇年地主らは惣町が川浚えをした土砂を買取り、堤の修復に使いたいと願出ている(「口上」尼崎市教育委員会所蔵文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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