見分森
みわけもり
水沢市の最西端に突出する丘陵一帯(標高一一〇メートル前後)をいう。胆沢平野のただ一つの丘で、胆沢扇状地の開析過程に取残された丘であろう。東森・中森・西森の三つからなり、松の密林に覆われている。古墳・窯跡や竪穴住居跡があるので、古代には集落があったものとみられる。藤原氏時代には四八鐘といい、平泉を中心として四八ヵ所の要地に鐘をつるし、軍令を本州北端の外ヶ浜から南は陸奥白河まで順次に送ったといわれるが(平泉名勝志)、見分森に続く東端の道伯森はその一ヵ所であったという。見分森は三宅森・三分森とも書く。三宅森というのは、豪族三宅氏が山麓に住んでいたことから生じたものとの説がある。また三つの森からできているので三分森というのが正しいとの考え方もある。伝説高山掃部長者の物語に関連して「塩竈村安永風土記」に「往古肥前国松浦佐与姫大蛇之儀へ罷成候節、森之頂上より湖水を見渡候に付、夫より見分森と名付候由申伝候」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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