見田石介(読み)ミタ セキスケ

20世紀日本人名事典 「見田石介」の解説

見田 石介
ミタ セキスケ

昭和期の哲学者,経済学者 日本福祉大学教授。



生年
明治39(1906)年4月23日

没年
昭和50(1975)年8月9日

出生地
島根県津和野市

別名
筆名=甘粕 石介(アマカス セキスケ)

学歴〔年〕
京都帝国大学哲学科〔昭和5年〕卒

経歴
昭和7年唯物論研究会に入って文筆生活に入り、ヘーゲルマルクスを論じ、その芸術論、美学的原理の分析や紹介につとめる。9年「ヘーゲル哲学への道」を、10年「芸術論」を刊行。15年検挙されたが、同年日本大学予科教授となり、22年に退職。戦後は民主主義科学者協会哲学部会機関誌理論」の編集に専念し、26年大阪市立大学講師、45年日本福祉大学教授に就任。また「科学論」「資本論方法」「宇野理論マルクス主義経済学」「価値および生産価格の研究」「ヘーゲル大論理学研究」(全3巻)などを刊行した。「見田石介著作集」(全6巻・補巻 大月書店)がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「見田石介」の解説

見田石介 みた-せきすけ

1906-1975 昭和時代の哲学者。
明治39年4月23日生まれ。唯物論研究会に参加。日大予科教授をへて昭和22年民主主義科学者協会幹事となり,機関誌「理論」を編集。のち大阪市立大教授,日本福祉大教授。昭和50年8月9日死去。69歳。島根県出身。京都帝大卒。筆名は甘粕石介。著作に「資本論の方法」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「見田石介」の解説

見田 石介 (みた せきすけ)

生年月日:1906年4月23日
昭和時代の哲学者。日本福祉大学教授
1975年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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