日本大百科全書(ニッポニカ) 「唯物論研究会」の意味・わかりやすい解説
唯物論研究会
ゆいぶつろんけんきゅうかい
日本で最初の、唯物論の研究と啓蒙(けいもう)を目的とする学術団体。1932年(昭和7)10月、戸坂潤(とさかじゅん)、岡邦雄(くにお)、三枝博音(さいぐさひろと)らを中心として創立大会が開かれ、機関誌『唯物論研究』を発刊、毎月定期的に研究会、小集会をもって活動を展開した。「現実的な諸課題より遊離することなく、自然科学、社会科学及び哲学に於(お)ける唯物論を研究し、且(か)つ啓蒙に資するを目的」(規約第1条)とする「学術啓蒙団体」であった。当初は唯物論者だけではなく、長谷川如是閑(はせがわにょぜかん)、寺田寅彦(とらひこ)らの進歩的な評論家、自然科学者を広範に結集し、文化の面における反ファシズム運動としての特徴をもっていたが、弾圧が強化されるなかで脱会者が続出し、35年には唯物論者だけの研究団体になっていった。にもかかわらず、38年2月に解散を余儀なくされるまで、一貫して合法性を守りながら大きな実績をあげた。機関誌『唯物論研究』(のちに『学芸』と改題)はあわせて73冊を刊行、双書『唯物論全書』(第三次から『三笠(みかさ)全書』と改題)計50冊を出版した。この双書は、哲学、数学、物理学、経済学、政治学、美術論、文学論など広範囲にわたり、「一種の包括的な百科全書」といわれた。なお、戦後は1959年(昭和34)6月に各地の唯物論研究会の連絡機関として日本唯物論研究会が生まれたが、内部対立により65年に事実上解散し、78年7月に唯物論研究者の新しい全国組織として唯物論研究協会が発足した。
[山田敬男]