覚仁法親王(読み)かくにんほうしんのう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「覚仁法親王」の解説

覚仁法親王 かくにんほうしんのう

1198-1266 鎌倉時代,後鳥羽天皇皇子
建久9年生まれ。母は滝。法住寺にはいる。建保(けんぽ)6年(1218)親王となる。同年(一説仁治(にんじ)3年)天台宗園城寺(おんじょうじ)長吏。宝治(ほうじ)2年熊野三山・新熊野検校となり,後嵯峨上皇の熊野行幸の先達をつとめる。備前(岡山県)の尊滝院にうつり,承久の乱で流された弟の頼仁親王とともに五流修験の再興につくしたという。文永3年4月12日死去。69歳。通称は桜井宮。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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