デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「頼仁親王」の解説 頼仁親王 よりひとしんのう 1201-1264 鎌倉時代,後鳥羽(ごとば)天皇の皇子。建仁(けんにん)元年7月22日生まれ。母は坊門信清の娘。卿局(きょうのつぼね)(藤原兼子(けんし))に養育され,承元(じょうげん)4年親王となる。承久(じょうきゅう)の乱にかかわった罪により備前(岡山県)児島(こじま)に流され,文永元年5月23日同地で没した。64歳。通称は冷泉(れいぜいの)宮,児島宮。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
朝日日本歴史人物事典 「頼仁親王」の解説 頼仁親王 没年:文永1.5.23(1264.6.18) 生年:建仁1(1201) 鎌倉時代の親王。承久の乱(1221)で備前(岡山県)に配流された。後鳥羽天皇の第5皇子。冷泉宮,児島宮ともいう。母は内大臣坊門信清の娘西御方。卿二位藤原兼子に育てられ,鎌倉幕府が将軍源実朝の後継者に望んだこともあった。 (秋山喜代子) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
367日誕生日大事典 「頼仁親王」の解説 頼仁親王 (よりひとしんのう) 生年月日:1201年7月22日鎌倉時代前期の皇族。後鳥羽天皇の第5皇子1264年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報