日本歴史地名大系 「観龍寺」の解説 観龍寺かんりゆうじ 岡山県:倉敷市旧都窪郡地区倉敷村観龍寺[現在地名]倉敷市阿知二丁目鶴形(つるがた)山の西側中腹にあり、宝寿山と号する。真言宗御室派、かつて京都仁和寺末。本尊は大日如来。寛和元年(九八五)の開創を伝える。一説に、もと子位庄(こいのしよう)村の西安(さいあん)寺慈照(じしよう)院一二坊の一であった宝積院が移転して北斗山と号したもので、近世初頭、山号・寺号を改め、同時に妙見宮(現阿智神社)の別当となったという(備中誌)。延享年間(一七四四―四八)二度の火災に遭い、寛延二年(一七四九)再建した。文化―文政年間(一八〇四―三〇)に教存・持戒などの名僧が出たため、頼山陽・菅茶山など文人の往来が多かったという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by