許政(読み)きょせい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「許政」の意味・わかりやすい解説

許政
きょせい / ホジョン
(1896―1988)

韓国(大韓民国)の政治家。慶尚南道(けいしょうなんどう/キョンサンナムド)釜山(ふざん/プサン)出身。普成専門学校卒業。三・一独立運動に参加後、亡命して上海(シャンハイ)の韓国臨時政府に参加。フランス、アメリカを転々とする。1945年解放後、帰国して韓国民主党創立に尽力し、同党総務。1948年韓国成立後は、交通部長官、社会部長官、国務総理署理、ソウル特別市長、外務部長官を歴任。1960年「四月革命」後、8月まで管理内閣首班。1963年以後、諸野党幹部として活動、1969年国土統一院顧問、韓国政界の最長老格であった。

玉城 素]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「許政」の意味・わかりやすい解説

許政
きょせい
Hǒ Chǒng

[生]建陽1(1896).4.8. 釜山
[没]1988.9.18. ソウル
韓国の政治家。 1919年の三・一運動に参加して亡命,解放後帰国。 48年韓国交通相,50年社会相,51~52年首相代理,57年ソウル市長,59年日韓会談首席代表,60年外相。同年4月イ・スンマン (李承晩) が大統領辞任ののち8月張勉内閣組閣まで過渡的政府首班として大統領代理,首相,外相を兼務。 62~63年政治活動を禁止された。 63年「国民の党」代表委員,64年民主党と合流,同党最高委員,66~67年民衆党顧問。 69年統一院顧問。

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