日本歴史地名大系 「誉田御山古墳」の解説 誉田御山古墳こんだごびようやまこふん 大阪府:羽曳野市誉田村誉田御山古墳[現在地名]羽曳野市誉田六丁目応神天皇陵に治定され、中・近世には古市(ふるいち)山陵・誉田山陵ともよんだ。誉田の台地の西辺に、前方部をほぼ北に向けて築造された前方後円墳。墳丘の全長四一五メートル、後円部の直径二六七メートル・高さ三六メートル、前方部の幅三三〇メートル・高さ三五メートルで、大仙(だいせん)古墳(現堺市)に次ぐ日本第二の規模をもつ。後円部周濠の南を古代丹比(たじひ)道が通ったと推定され、これを西に延長すると大仙古墳に至る。二重の周濠を巡らせているが、外濠は埋められて水田や宅地となっている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報