日本歴史地名大系 「誉田神社」の解説 誉田神社ほんだじんじや 香川県:大川郡大内町横内村誉田神社[現在地名]大内町横内須賀(すが)の浜の北部、字松の内(まつのうち)に鎮座する。祭神誉田別命・息長帯姫命・仲姫命。旧郷社。空海が勧請して虚空蔵(こくぞう)院(与田寺)の鎮守としたとも、承和年中(八三四―八四八)河内国より虚空蔵院に来住した高僧が氏神誉田(こんだ)八幡宮(現大阪府羽曳野市)を勧請したともいう。明徳三年(一三九二)八幡大神の託宣により、増吽が社を虚空蔵院の鬼門に移したが、当神は蝮をきらって移らなかったと伝え、もし洪水の時など他村から流れてきた蝮はすぐに死んだという(讃岐国名勝図会)。 誉田神社ほんだじんじや 香川県:大川郡引田町引田村誉田神社[現在地名]引田町引田城(しろ)山の西麓に鎮座。背後の社叢は楠・柾・椿など樹種の多いことで知られる。引田八幡宮とも称する。祭神は神功皇后・応神天皇。旧郷社。社伝によると手置帆負命二五世の孫で大内(おおち)郡領主忌部正国が、租税貢納の帰途河内国誉田(こんだ)八幡宮(現大阪府羽曳野市)に参籠し、神託により神宝二品を得て持帰り、一は伊座中山(いざなかやま)(現白鳥町)に、一は忌部家の私邸に祀った。延久元年(一〇六九)中山の祠を引田亀(かめ)山に移し、郷鎮守としたという。天正一二年(一五八四)土佐勢の兵火に罹り、社殿すべて烏有に帰した。寛永一九年(一六四二)写の国中寺社領高書上(覚城院文書)には「引田之宮」とみえ社領は新田一〇石を加えて三〇石とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by