横内村(読み)よこうちむら

日本歴史地名大系 「横内村」の解説

横内村
よこうちむら

[現在地名]茅野市ちの 横内

塚原つかはら扇状地の南端から西南方平坦低地に広がり、北は上原うえはら村、東は塚原村、西南部はかみ川を境とし、東に甲州道中(現国道二〇号)、中央を東西に諏訪大社上社参道が通じている。

大祝職位事書のうち、文明一六年(一四八四)の諏方宮法師丸(頼満)大祝立給次第に、「上原よりよこうちへ、輪御社参候」とみえる。中世には栗林くりばやし郷の南部を占めていたといわれ、八日市場ようかいちば五日市場いつかいちばの地名も残っており、同文書文明一七年の条に「大歳おおとし大明神御立候、御前ニはたけアリ、其畠にみちあり、馬を南頭ニ打上、五日市場へかゝり、河をうち越し、千野河大明神御参候」、また「大塔物語」(成沢本)の末尾に文正元年(一四六六)に「諏訪上社栗林五日市庭閑室」で書写したとある。


横内村
よこうちむら

[現在地名]藤枝市横内

志太しだ郡に属し、南は益津ましづ下当間しもどうま村、東は三輪みわ(現岡部町)、北は東海道岡部おかべ宿(現岡部町)の加宿内谷うつたに(現同上)。村内を東海道が縦断し、南東流する朝比奈あさひな川には横内橋が架かる。天正一八年(一五九〇)から慶長五年(一六〇〇)までは田中たなか城に在番した横田村詮の領地で、慶長四年七月の横内村百姓中宛の横田村詮法度(内閣文庫蔵)が残る。慶長九年の志太郡横内村水帳(戸塚家文書)では田畑屋敷三〇町三反余、名請人六九人、田中藩領であった。寛永一九年(一六四二)の田中領郷村高帳や寛文四年(一六六四)の西尾忠成領知目録(寛文朱印留)などには村名はみえないが、国立史料館本元禄郷帳では田中藩領。


横内村
よこうちむら

[現在地名]青森市横内

横内川に沿い、対岸の東北に四ッ石よっいし村がある。天文年間(一五三二―五五)の津軽郡中名字に「横内」とある。明応七年(一四九八)堤弾正光康がこの地に入ったという(横内村誌)。正保二年(一六四五)の津軽知行高之帳の田舎いなか郡の新田に高四四二・〇四石とあり、貞享元年(一六八四)の郷村帳に高九二一・九石とある。同四年の検地帳によれば、村高六六〇・一二六石、うち田方五八六・九八石、畑方七三・一四六石とある。田地五八町八反四畝六歩のうち、上田一〇町余・中田二〇町余・下田一五町余・下々田一二町余で生産力が高い。畑地は二〇町九反七畝一七歩のうち、上畑一町余・中畑五町余・下畑三町余・下々畑一〇町余である。


横内村
よこうちむら

[現在地名]大内町横内

北は播磨灘に面し、与田よだ川河口から西に延びる砂浜とその背後の沖積地に位置する。東は三本松さんぼんまつ村。海岸線が短く、魚介類の生息する岩礁も少なく、漁場に恵まれない反面、耕地が広く水利に恵まれていた。半農・半漁の村。寛永国絵図では与田郷のうち。寛永一七年(一六四〇)の生駒領高覚帳では五二一石余で、このなかに西にし村の一部か小磯こいそ村分が含まれるともみられるが不明。文化六年(一八〇九)の古田大検見目録(日下文書)では高四九九石余で、うち田方四五二石余・畑方四六石余。


横内村
よこうちむら

[現在地名]富山市横内

いたち川と常願寺川水系広田ひろた用水の間の平坦地にあり、南は石屋いしや村。立山道が通る。正保郷帳では高四六一石余、田方三〇町一反余・畑方六反、新田高三七石余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では草高四五六石、免三ツ九歩、小物成は野役二〇匁・鮎川役三匁、明暦二年(一六五六)・万治二年(一六五九)の新田高二一石があった(三箇国高物成帳)。のち手上高・増高があり、嘉永六年(一八五三)には草高五二三石、小物成として七木運上役六匁三分余が加わっている(「太田組高免等手帳」杉木家文書)。所属組は流杉ながれすぎ村と同じ。


横内村
よこうちむら

[現在地名]真玉町臼野うすの 横内

臼野村の東にあり、村域で赤松あかまつ川と神出かみで川が臼野川と合流する。小倉藩元和人畜改帳に村名がみえ、高五四石余で、家数一九のうち本家(ただし本百姓・小百姓)六、隠居・庭屋・牛屋一三、人数男一六(うち名子二など)・女一一、牛五・馬一。正保郷帳では香々地かかじ庄に属し、田高六石余・畑高三三石余で、茅山有、日損所と記す。元禄郷帳では高四八石余。享保二年(一七一七)の延岡藩領知目録写(牧野家文書)に村名がみえ、延享四年(一七四七)の延岡藩領郷村高帳(内藤家文書)では高四一石余。


横内村
よこうちむら

[現在地名]三川町横内

竹原田たけはらだ村の南に位置し、西は堤野つつみの村。平坦地で備中街道が通る。摂津石山本願寺顕如の重臣鈴木重幸が石山合戦に敗れ、慶長八年(一六〇三)一族郎党を引連れ当地を開拓したといわれる。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録では高三一三石余。寛永元年庄内高辻帳では高四四二石余。


横内村
よこうちむら

[現在地名]龍野市神岡町横内かみおかちようよこうち

美作道を境に上横内村の南に位置し、東は西鳥井にしとりい村。揖東いつとう郡に属する。慶長国絵図に横落村とみえる。郷帳類・領知目録では北横内村西横内村・上横内村・西鳥井村・東鳥井村を合せて横落村一村で記される。領主の変遷は宿しゆく(觜崎宿)村と同じ。元和三年(一六一七)の揖東郡郷帳(林田郷土史)には横大市村とあり、高一千二九四石余。正保郷帳でも横大市村と記され、田方七八四石余・畑方二九三石余。


横内村
よこうちむら

[現在地名]野田市横内

中根なかね新田の東に位置する。寛文期(一六六一―七三)に開発し、延宝元年(一六七三)に検地高入れされたという野田新田の一つ。それまでは野馬の放牧地であったという。貞享五年(一六八八)の田畑石高帳(渡辺家文書)では古高三五石余(四町九反余)・新高一七二石余(三五町八反余)。元禄一三年(一七〇〇)頃の下総国各村級分では高一七二石余で、幕府領

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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