改訂新版 世界大百科事典 「諸司厨町」の意味・わかりやすい解説
諸司厨町 (しょしくりやまち)
官衙ごとに京中に設けられていた付属の宿所,あるいはその宿所のある区画。当該官衙に所属する下級官人や地方から徴発された課役民が,寝食起居したことからその名がある。平安初期,9世紀初頭から存在が知られるから,造都の一環として整備されたことがわかるが,主として左京の二条通以北に分布していたのが特徴で,《拾芥抄(しゆうがいしよう)》の記事や各種京中図などにより,その種類や所在地が知られる。平安末期以降,官衙の衰退にともない諸司厨町も有名無実化し,多くは民有地化したが,中には室町時代でも官有地として維持され,そこからの地子収入が当代の公家にとって看過できない収入源となったものもあれば,生産や運搬などに関係のあった官衙の厨町の場合,居住者が座を形成して活躍したものもある。特定の官衙や公家を本所とする一群の座がそれで,大舎人(おおとねり)座(西陣織)や四府駕輿丁(しふのかよちよう)座(商業・運搬)などが典型である。なお同類は平城京にも存在したと考えられるが,史料上の所見がない。また大和国(奈良県)に散在する,いわゆる〈国名村〉(国名を字名とする地名)は,諸司厨町の前身とみられ,藤原京時代かそれ以前にさかのぼるものであろう。
執筆者:村井 康彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報