日本大百科全書(ニッポニカ) 「貔子窩」の意味・わかりやすい解説
貔子窩
ひしか
中国、遼寧(りょうねい)省、遼東半島の南岸普蘭店(ふらんてん)近くの碧流(へきりゅう)河畔の高麗寨(こうらいさい)とよばれる台地と、その前方にある単子(たんだし)と名づけられた小島にある遺跡。1927年に東亜考古学会の浜田耕作らが調査した。単子は新石器時代の遺跡で、黝黒(ゆうこく)色の地に赤、白、黄色の顔料で焼成後に直線的な幾何学文様を施した彩陶の壺(つぼ)と、黝黒色ないし赤褐色の磨研土器ならびに磨製有孔石斧(せきふ)、石包丁、石鏃(せきぞく)、石剣、石製と土製の紡錘車(ぼうすいしゃ)、貝輪片、骨製の針、青銅器片、管玉(くだたま)などが出土した。遺物の特徴に中原(ちゅうげん)の新石器文化の影響が認められるが、彩陶の器形と技法は地域的特色を示している。墓葬には人骨二体が検出されている。高麗寨からは鬲(れき)、甗(げん)を主とする灰色の粗陶、叩(たた)き文(もん)のある灰陶、単色の磨研土器、磨製の石斧、石包丁、石釧(いしくしろ)、石剣、骨角器、銅鏃(どうぞく)、銅矛(どうほこ)、銅剣、銅製弩機(どき)残片、銅製の剣装具と鉄製の鏃(やじり)、鑿(のみ)、斧(おの)、鍬(くわ)先、鎌(かま)、槍(やり)などや、明刀銭(めいとうせん)、布銭、半両銭、ガラス片が出ている。高麗寨には彩陶がないが、単子と並行する新石器時代農耕文化の波及から中原の青銅器文化と鉄器文化の波及までを示しており、戦国時代から漢代の遺跡である。
[横田禎昭]