貨幣改鋳(読み)かへいかいちゅう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「貨幣改鋳」の意味・わかりやすい解説

貨幣改鋳
かへいかいちゅう

貨幣が流通界において自然に磨損し、あるいは人為的に毀損(きそん)されたとき、これらを回収して、新しい貨幣と交換することを目的として改めて貨幣を鋳造することをいう。それとは別に、政府が改鋳益金(出目(でめ))の収得を意図して、貨幣の品位・量目などを劣悪化し、新しい貨幣を鋳造した場合も多い。諸外国においても、流通貨幣が改鋳により悪化したことが少なくない。イギリスの貿易商人・為替(かわせ)金融業者で、王室の財政顧問を務めたトーマス・グレシャムが1560年、イギリスの良貨が海外に流出するのは貨幣の改鋳が原因であることをエリザベス女王に進言し、「悪貨は良貨を駆逐する」というグレシャムの法則を説いたことは有名である。

 わが国においても、貨幣の改鋳はすでに奈良・平安時代の皇朝十二銭の発行に際してもみられ、和同開珎(わどうかいちん)に引き続いて発行された11種類の皇朝銭は改悪の傾向を示した。また室町時代から安土(あづち)桃山時代にかけて良銭(精銭)と悪銭(鐚銭(びたせん))とが混合して流通し、そのため撰銭(えりぜに)の現象がみられた。さらに江戸時代になると、幕府により改鋳が盛んに行われ、流通貨幣の磨損・毀損に伴う改鋳よりも、改鋳益金の収得を目的とした財政的理由に基づく改鋳が特徴的であった。慶長(けいちょう)期(1596~1615)の幣制を改めた元禄(げんろく)期(1688~1704)の改鋳をはじめとして、幕府は宝永(ほうえい)(1704~11)、正徳(しょうとく)(1711~16)、享保(きょうほう)(1716~36)、元文(げんぶん)(1736~41)、文政(ぶんせい)(1818~30)、天保(てんぽう)(1830~44)、安政(あんせい)(1854~60)、万延(まんえん)(1860~61)の各期に相次いで金銀貨の改鋳を行い、正徳・享保期の良貨政策を別にすれば、他の大部分は幕府財政の窮乏緩和を意図した悪鋳にほかならなかった。江戸中期の経世家として知られる三浦梅園(ばいえん)がその著『価原(かげん)』(1773年序文)において、「悪幣盛んに世に行はるれば、精金皆隠る」と説き、グレシャムの法則と同様の貨幣論を述べていることは、わが国における貨幣改鋳の歴史を考える場合とくに注目されよう。

[作道洋太郎]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の貨幣改鋳の言及

【文政金銀】より

…1818年(文政1)発行の文政真文二分金はじめ,19年の文政小判,文政一分金,20年の文政丁銀・豆板銀,24年の文政南鐐二朱銀,文政一朱金,28年の文政草文二分金,29年の文政南鐐一朱銀を総称していう。江戸幕府は1736年(元文1)の貨幣改鋳以来,長期間にわたりほとんど改鋳・増鋳を行わなかったが,文化・文政期(1804‐30)における経済発展や幕府財政の窮乏化に対応して大規模な改鋳が実施された。文政期の改鋳に際して,幕府は1824年大坂で両替屋十五軒組合を組織し,江戸においても両替屋に新二朱銀の引替方を編成し,新旧両貨の交換業務を円滑に行うことができる体制の強化につとめた。…

【米価】より

…ただし,水運に比べると陸上輸送網の整備は大きく立ち遅れ,山間部の米価は近世中期以降まで,比較的独自な動きを示した。 近世米価の変動要因には,短期的には年々の作柄や世相不安,貨幣改鋳による通貨価値の変動などがあり,長期的には農業生産力,人口,輸送体系,流通組織,および貨幣供給量などがある。近世を通じて17世紀は米価構造がもっとも大きく変動した(図2参照)。…

※「貨幣改鋳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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