16世紀後期より江戸時代にかけて使用された悪質の銭貨。「びたぜに」とも読み、悪銭(あくぜに)ともいう。とくに寛永通宝(かんえいつうほう)が新鋳され、浸透するまでの半世紀間余、額面どおり通用しなかった価値の低い悪銭をいう。室町より戦国期にかけて、精銭(せいせん)とされた永楽(えいらく)銭に対して、中国での私鋳銭である南京(ナンキン)銭、国内の私鋳銭、精銭が磨滅した破銭(われせん)や欠銭(かけせん)などを悪銭と称したが、これを織田信長時代より畿内(きない)で「びた」とよぶようになり、のち全国に広まった。多種かつ磨滅度の異なる銭貨が混合流通したため、鐚銭の間でも撰銭(えりぜに)がなされて混乱した。しかし、江戸幕府が1604年(慶長9)永楽銭一貫文=鐚銭4貫文とし、さらに4年後に永楽銭通用を禁止したのちは、「びた」が銭貨の代称ともなった。
[岩橋 勝]
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鐚とも。中世~近世に悪銭一般をさした呼称。本来は最下級の悪銭の意だが,16世紀の中・末期に語義が広がった。中世には撰銭(えりぜに)の対象となり,使用価値を低くして流通した。徳川氏はとくに劣悪な銭と永楽銭をのぞく通用銭をすべて鐚銭とした。17世紀中頃以降,これら鐚銭と同価値の貨幣として造られた寛永通宝が大量に流通すると,しだいに姿を消した。
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…あくぜに,鐚銭(びたぜに)ともいい,粗悪な銭貨のこと。皇朝十二銭の後,貨幣の国内鋳造が絶え,平安時代末から宋銭など中国銭が流入,通用し始め,室町時代に入ると大量の明銭などが流入し,経済活動の活発化にともない貨幣流通が盛んになった。…
…洪武通宝・永楽通宝・宣徳通宝などは代表的な明銭であった(宋元銭)。室町時代には中国の官鋳制銭のほかに,日本製の模造銭や私鋳銭が造られ,中国製の精銭と並んで日本製の鐚銭(びたせん)が使用された。そのため撰銭(えりぜに)の現象がみられるようになり,標準的な中国銭に対して日本製の銭貨は資質の悪い減価された悪銭として区別された。…
…中国渡来銭の流通が軌道に乗るようになると,室町時代には中国銭を形態のうえから阿堵(あと),鳥目(ちようもく),鵝眼(ががん)などと呼び,また使用の面から御脚,用途,料足などととなえるようになった。中国銭の国内通用が盛んになると,中国官鋳制銭をモデルにして造られた私鋳銭や模造銭が現れ,官銭は一般に良銭,精銭と呼ばれ,私鋳銭,模造銭は悪銭または鐚銭(びたせん)ととなえられた。精銭と悪銭とが並んで用いられたので室町時代には撰銭(えりぜに)の現象が生じ,悪銭はその使用に際して割り引かれたり,排除される傾向が生じた。…
…江戸時代の銭貨鋳造所。江戸幕府は1636年(寛永13),それまで幕府鋳造の金銀貨と並んで流通させていた鐚銭(びたせん)に代えて,新規の銭を鋳造させることとなり,老中土井利勝を総督に,江戸の芝網縄手ならびに近江坂本に銭座を設けて,新銭を鋳造した。これが寛永通宝であり,最初の銭座であった。…
※「鐚銭」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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