朝日日本歴史人物事典 「円勢」の解説
円勢
生年:生年不詳
平安後期の円派系仏師。長勢の子,または弟子と伝えられる。主に京都で活躍し,円勢以後「円」の字がつく仏師が多いことから,この系統は円派と呼ばれた(円派の始まり)。永保3(1083)年に法勝寺の造仏により法橋に任じられ,以後,祇園塔,鳥羽御堂,尊勝寺,高野山大塔,法成寺,白川新阿弥陀堂の造仏など,長勢没後の中央造仏界で指導的役割をはたした。康和3(1101)年には,鳥羽御堂において,造仏のほか柱絵を描いて法眼に叙されていることから,絵画にも長じていたと推測され,同4年の尊勝寺の造仏では,仏師として最高位の法印にまで上った。また清水寺の別当職を望み,永久1(1113)年に補任されたが,興福寺側の反対にあって断念せざるを得なかった事実は,彼の野心家としての一面を物語るとともに,当時の仏師の社会的地位の向上も示している。近年見出された仁和寺旧北院本尊の薬師如来檀像は,康和5年に円勢が長円を率いて造仏した貴重な作例である。<参考文献>谷信一「円勢法印考―木仏師研究の一節とし―」(『美術研究』30号),伊東史朗「仁和寺旧北院本尊・薬師如来檀像について」(『仏教芸術』177号)
(浅井和春)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報