日本歴史地名大系 「赤岩郷」の解説 赤岩郷あかいわごう 埼玉県:北葛飾郡松伏町赤岩郷中川と大落古利根(おおおとしふるとね)川との合流点近くにあった中世郷で、史料に残る地名からは北葛飾郡松伏町上赤岩・下赤岩を遺称とし、同所から同郡吉川(よしかわ)町北部辺りの地域に比定される。下総国下河辺(しもこうべ)庄に含まれる。正慶元年(一三三二)二月一六日の金沢貞将寄進状(金沢文庫文書、以下断りのない限り同文書)に「下総国下河辺庄内赤岩郷」とみえ、当郷などが不輸の地として称名(しようみよう)寺(現神奈川県横浜市金沢区)に永代寄進されている。ただし元徳四年が正慶元年と改元されるのは四月二八日のことであるから、改元以前に正慶年号を用いているこの文書の信憑性については検討が必要であろう。貞和四年(一三四八)九月三日の赤岩内河年貢米送進状(東京国立博物館所蔵文書)では赤岩郷内河(うちかわ)(現吉川町)の年貢米は八石四斗で、同年九月一四日の赤岩外河年貢送進状では同郷外河(そとかわ)(現未詳)の年貢は米九石八斗一升のほか「上村糠三 下村四 藁四把 薦七十六枚上村 三十五枚下村」であった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by