20世紀日本人名事典 「赤星藍城」の解説 赤星 藍城アカボシ ランジョウ 明治〜昭和期の書家,医師 生年安政4年2月16日(1857年) 没年昭和12(1937)年10月18日 出生地陸奥国伊具郡(宮城県) 本名赤星 敬次郎 旧姓(旧名)早川 学歴〔年〕東京大学卒 経歴仙台医学校から東京大学に進み、医学を修める。その間、仙台で国分青崖、東京で大沼枕山に師事し、漢学を学んだ。のち仙台医学校長で外科医の赤星研造の養子となる。明治20年友人で政治家・著述家伊藤直純の招きに応じて秋田県大曲で医院を開業し、次いで37年には秋田市に移転。医業の傍ら、書家としても活動し、斗南会に所属。特に六朝風の書体に秀で、秋田県書壇の中心的立場にあった。著書に「藍城遺墨帖」などがある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「赤星藍城」の解説 赤星藍城 あかぼし-らんじょう 1857-1937 明治-昭和時代前期の医師,書家。安政4年2月16日生まれ。赤星研造の養子。伊藤直純の招きで秋田県大曲に開業し,明治37年秋田市にうつる。書は斗南会に属し,六朝(りくちょう)風を得意とした。昭和12年10月18日死去。81歳。陸奥(むつ)伊具郡(宮城県)出身。東京大学卒。旧姓は早川。名は敬次郎。著作に「藍城遺墨帖」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by