20世紀日本人名事典 「伊藤直純」の解説 伊藤 直純イトウ ナオズミ 明治・大正期の政治家,著述家 衆院議員。 生年万延1年12月30日(1861年) 没年昭和8(1933)年8月8日 出生地出羽国横手(秋田県横手市) 学歴〔年〕専修学校卒 経歴須田水明の三近堂に学んだのち上京し、根本通明・大沼枕山に師事して漢学を修めた。明治法律学校を卒業したのち帰郷、青年会で活動し、明治20年には秋田県会議員に当選。その傍ら、耕余農夫の筆名で小説をものしたり、同門の書家赤星藍城を秋田に招くなど、秋田地方における文化的な空気の醸成にも功があった。31年には衆議院議員となり、奥羽本線の敷設や国道の整備に尽力。政界を引退した後は、公園や史跡の整備・保存をすすめ、「後三年役」「耕余叢話」などの資料集を編んだ。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「伊藤直純」の解説 伊藤直純 いとう-なおずみ 1861*-1933 明治-大正時代の政治家。万延元年12月30日生まれ。明治法律学校(現明大)にまなぶ。秋田県会議員をへて明治31年衆議院議員(憲政本党)。奥羽本線の開通,国道の整備などにつくした。秋田馬車鉄道社長。昭和8年8月8日死去。74歳。出羽(でわ)横手(秋田県)出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by