赤松安子(読み)アカマツ ヤスコ

20世紀日本人名事典 「赤松安子」の解説

赤松 安子
アカマツ ヤスコ

明治期の社会事業家,教育家



生年
慶応1年(1865年)

没年
大正2(1913)年2月2日

出生地
周防国都濃郡徳山(山口県徳山市)

学歴〔年〕
京都府立女学校〔明治18年〕卒

経歴
西本願寺勧学の赤松連城の娘として生まれ、幼少の頃より漢学を学び、詩歌や絵画にも秀でた。明治18年京都府立女学校を卒業。19年に浄土真宗の僧侶与謝野礼巌の次男である照幢(歌人与謝野鉄幹の弟)と結婚し、既成宗教の枠に囚われない宗教的人道主義を模索していた夫を助けた。のち実家である徳山の徳応寺境内で徳山婦人講習会を開いて教育事業に取り組むようになり、20年には組織を拡張して白蓮女学校(のちの私立徳山女学校)を創立。さらに慈善事業を志して防長婦人相愛会を結成し、38年には真宗徳華婦人会を設立して孤児救済に乗り出すとともに地方への仏教思想宣布にも貢献した。実子に社会運動家赤松克麿、政治家赤松常子らがいる。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「赤松安子」の解説

赤松安子 あかまつ-やすこ

1865-1913 明治時代の社会事業家。
慶応元年生まれ。赤松連城の長女。明治19年与謝野鉄幹(よさの-てっかん)の兄照幢(しょうどう)と結婚,夫と協力し山口積善会・徳山婦人講習会を創立,20年白蓮女学校(のち徳山女学校)に発展させた。保育事業にもつくす。大正2年2月2日死去。49歳。周防(すおう)(山口県)出身。京都府立女学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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